赤目ワークキャンプ 特設ページ

事業名 場所 開始 終了 内容
赤目2 三重県名張市 8/9 8/19 里山整備と子どもキャンプ運営手伝い
 

赤目の森ワークキャンプ特設ページ



赤目の里山を育てる会


理事長 伊井野 雄二 さん

1998年9月に初めてイギリスのナショナル・トラストのワーキングホリデーに参加して、沢山の「学び」がありました。
そして、東京のNICEの仲間たちと縁があって、今日まで「国際ワークキャンプ」を続けることができています。

来たれ、若者。
どんなに社会が変化して、厳しく悲しい現実があろうとも、立ち向かう勇気と優しさは、自立した個人の中にこそ現れる
自分の有り様を見詰め、誰にも依存しないで生きていく術と哲学を学ばなければ、時代はまた暗黒の時代を迎えるかもしれない。

依存とは何か、衣食住の全てに関心を寄せ、それをまず考えてみること。
衣を織る 糸を紡ぐ
何を食う? 食うものを育む どうしたら食える? 
煮る 焼く 蒸す 炒める 冷やす
住むところはどうだ?
自分で犬小屋でも建てられるか、大工さんの仕事のまねでもできるか、材木はどこからどのようにして入手する?
暖房はどうする、煮炊きのエネルギーはどうする などなど。

自立して生きることは、都会では難しい。
しかし、自立して生きるということの重要性を理解して生きる、ということは同じ生活していても全然違う。

髪を毎日洗う。本当にその必要があるか。
水を確保するのにどんなに大変かを理解して、洗剤を毎日毎日利用することの不気味さ。
そして、それを後ろから後押ししているのは、商品を売らんかなの、「臭い」「汚い」攻勢。大手広告代理店の戦略にまんまと乗せられてはいないだろうか。

決して昔に戻れ、などと言っていない。
これからの社会での生活の在り方を一人一人が考える場に、赤目の森でのワークキャンプが役立てばうれしい
そうなれば、赤目の森のために、沢山のお金を出してくれた人たちが喜んでくれるだろう。

まず、自分の食う主食の米を作れ。
そして、薪でご飯を食べられるようにしろ。
そうしたら、石油のタンカーが今 止まっても、困らないですむだろう。
そして、哲学を育め。
生きるとはどういうことか、自分はなぜ生きているのか
そんなことをコタツに足を突っ込んで語り合おう。
それを赤目の森では「コタツムリ」というのです。

その為には、ほんの少しの酒があればいい。
他人は大酒呑みというが、適量だと自認している。
この文章を読んで、「イザ」と思ったら連絡ほしい。
共によりよい日本と自分のために。。


赤目の里山を育てる会創立20周年を記念して作成したムービーです。
企画・制作・編集: 林 昌之




1.伐る
 細く弱い木、密集している木々を伐り、森を整えていきます。
 細さによって、のこぎりやチェーンソーを使います。
※ボランティアはチェーンソーを使う事は禁止

とても力のいるお仕事です。
しかし、複数の木を伐った後、森に入る光を感じられ、達成感につながります!

2.運ぶ
 伐った木を集めて、運びます。
重たい木は集まったボランティアでバケツリレー!
チームワークが大切になります☆

3.伐り出した木は
 自然と共生する生活を実践・啓発するために
さまざまな用途に使われます。
 ・シャワーでお湯を使うための熱源として、薪ストーブ
 ・炭づくり
 ・しいたけ、きくらげ等を栽培する菌床づくり
 ・しいたけのほだ木(しいたけを育てる木)を福島へ届ける

 など 
* 福島のしいたけ農家は、放射能汚染により福島周辺の木を使ってしいたけを栽培することができなくなりました。安全な木を赤目から格安で届け、しいたけ農家の方々をサポートしています。
 

 



 
1.宿泊施設

 以前は、赤目の森で「ゴルフ場開発計画」が起きた際に住民のみなさんからの反対運動の一環として建てられた環境保全型宿泊施設、エコリゾート赤目が滞在先でした。この施設は、※詳しくは以下「赤目の里山を育てる会とは」をお読みください。
現在は「赤目の森健康学園のボランティアハウス」にボランティアは全員で宿泊します。

2.電気・水

 「エネルギー」という言葉は赤目での生活では欠かせません。
 昔の人々は、お料理をする事も、お風呂に入る事も、寒いよりに暖を取る事もとても大きな労力をかけて行っていました。

 なぜならこれらの事を全て「木」という燃料を使って行うからです。山から木を伐り、運び、薪にし、火を起こすのです。お料理やお風呂を沸かすのに薪の火を調節するのはどれだけ大変な事でしょうか。

 しかし、現代の私達はこれらの事を、スイッチ1つで済ますことができます。とても便利な世の中になったと喜ばしいことですが、これによって「エネルギー」の大切さ知る術を無くしたとも言えます。

 赤目の森では「森を使う」という暮らしを実践し、本当のエコロジーを体感しながら生活をしていきます。

 お湯のシャワーを浴びるには、木々をくべて、火起こしをしなければなりません。
森のエネルギーを感じながら、エコライフを楽しめる人!ぜひご参加ください!

3.食

 ボランティアが使用するのは、ボランティアハウス内にあるキッチン。
 2-3人1組になって毎日ごはんをつくります! 

 食事ももちろん、赤目のエコライフに添って作ります。贅沢なごはんは作りません。
みんなでどうやったらゴミを増やさずに済むか、いかに節約してお腹いっぱいになるか!
そんな事を参加者全員で試行錯誤する事で、強いチームワークができてきます。

普段の生活では考えない事、できない事をどんどん赤目で体験してください!

 現代、「里山」という言葉を知っている人、中でも完璧にその意味をこたえられる人はどのくらいいるでしょうか。

 まず里山の意味を考えためには、「自然」を理解しなければならない。というのも自然には人の手の入った「自然」と全く人の手が入っていない「自然」があります。

 人間の手の入っていない自然は、大昔からあり、今でも多く存在します。その手つかずの自然を徐々に人が利用しやすいように形を変えた自然を里山と言います。そのため、人間が森を利用し始めた時から「里山」は存在します。

 里山と人間との関係は「Give and Take」である必要があります。大昔は人が山に入り、木を伐り、それを燃料にすることによって人々の生活は成り立っていました。そうすることによって山は光をうまく得られるようになっていました。

  現代では人が山に入らなくなったため、山の中の木々は弱くなり、生息する生物も減り、災害時には土砂崩れが起きる危険性も含んでいます。

 赤目ではこの「里山保全」活動について取り組む。暗い森に入ることもあり、木を伐り、暗かったはずの森に徐々に光が入っていく様子が見えると、とても達成感を感じます!




日本は67%の森で覆われています。しかし、日本の森林はの産業開発や都市化に大きな危機に直面しています。この日本にはこの問題に関心のある人は決して多くないのが現状です。

 戦後、日本では多くの森から切った木を経済発達のために使用してきました。
 そのため多くの木々を切り、それと同時に多くの木々を植えてきました。
利益と効率の良さだけを元に短期間で、木を植えては切ってを繰り返してきたのです。

 その結果、1995年には45%の森林が人工林となり、その中の68%は定期的に管理が必要な状態になってしまったのです。

 しかし、この時期から海外からの安い樹木の輸入が始まり、私たちは木を切らず、森の管理もしなくなってしまいました。管理されなくなってしまった森は、木々の間が狭くなり光を得られず、1つ1つの木が弱くなります。そのため、森全体で水を保つ容積が減少し、台風や豪雨等が起きた際、土砂崩れの危険性が高まるのです。
 



2016年7月17日~26日で開催された国際ワークキャンプでの Before After写真
木を伐った後の森の明るさが全く違います!
 

 樹木の伐採後、1年足らずで残された根株から新たに芽が出てきます。植林の必要はなく、森の樹木は自然と芽生え、成長していく仕組みを萌芽更新と言います。15年から20年のサイクルで樹木は成長し、森が新しくなっていくのです。

1.ゴルフ場建設計画
 1990年、名張市赤目地区に残されたゆたかな里山にゴルフ場を建設する計画が持ち上がりました。赤目は名古屋や大阪の大都市からもアクセスが良いため開発の対象となったのです。この計画に対して、赤目の地区の自然を利用して医療活動を行っていた赤目診療所の職員さんが中心となって、「赤目カントリークラブ(*)建設反対市民の会」が結成されました。反対運動に際し、以下のような活動を行っていきます。
* 赤目カントリークラブ:当時建設予定だったゴルフ場の名称(仮称)

 1)ナショナルトラスト運動
 「1人の1万ポンドより、1万人の1ポンド」をスローガンに、
    開発に反対する人々が、山の地権者から木々を1本ずつ買い取る運動のこと。この活動により、地権者がより増えるため、開発の同意を得るのが困難になるのです。



 2)「エコリゾート赤目の森」を設立
    1991年、ゴルフ場に代わる里山の良さを生かした開発提案の1つとして、環境保全型ペンション「エコリゾート赤目の森」が設立されました。ここでは宿泊客に四季折々の自然を味わってもらい、ハイキングやキノコの収穫等、里山体験をすることができます。また近隣小学校と協力をして環境教育等も行っています。



 以上のような活動は支持を集め、ゴルフ場開発計画は撤回されました。

2.産業廃棄物処理場建設
 1995年、産業廃棄物処理場を建設するため、赤目の山の木々が伐採され始めました。これはととても突然のことでした。この建設もまた、地域住民の反対運動により中止されましたが、この事がきっかけとなり、地域住民の皆さんはこの自然を守るためには『受け身』ではなく自らの活動が必要だと考えるようになったのです。

 これが「赤目の里山を育てる会」の設立の経緯です。1996年2月18日、里山を「守る」活動ではなく、自らの手で「育てる」活動が始まりました。