いろんな人のいろんな思いが集まる太陽の家で、
たくさんの新しい体験を


名前
久保田武男さん
NPO法人日の出太陽の家ボランティアセンター
プログラム名
国際ワークキャンプ 日の出
開催年
1993年~
内容
国際交流や
自然体験など
プロフィール
1951年東京都日の出町生まれ。
成人式で重度障がいの方が車いす上で誇らしげにしている姿に感銘し、ボランテイア活動を始める。
25歳の時にボランテイア団体「花咲き村」を結成。その後日の出太陽の家建設運動に参加。
1993年に日本で2番目の国際ワークキャンプ地として武家屋敷でキャンプ開始。
2011年にNPO日の出太陽の家ボランティアセンター理事長に就任。現在に至る。

日の出太陽の家ボランティアセンターの設立経緯、現在の取り組みついて教えてください。

昭和50年くらいに創設者の中島さんが、世田谷にある自宅と自身の会社を売って、福祉の仕事がしたいと都庁に相談にいったのが始まりです。当時は老人向けや身体障がい者施設はあるけれど、知的障がい者の施設は都内に新しくできなかったんです。障害者は悪いことをすると思われていたんです。実際に都内に施設を作ろうとしても、地域住民から反対運動が起きてきなかった。その結果、山形、秋田、北海道など地方にある施設に預けたんできなかったんです。ご家族の方は子供の前途を悲観して「いつこの子の首に手をかけて自分も死のうか」と思って暮らしていました。
中島さんは日の出町にあった武家屋敷を買い、ここで知的障がい者施設づくりを始めました。地域の方々の反対があって開園までに10年かかりました。 武家屋敷の裏は山があるんですが、中島さんは栃木県の「こころみ学園」をモデルにしたいと思い武家屋敷と裏山を購入しました。障がい者の方が山を登り下りすることで、運動にもなり、暴れることもなくなるし、入所した子が一週間で変わったという話もあり、モデルにしたいと思ったそうです。
取り組みとしては、『ボランティアの育成』『武家屋敷事業』です。ここ武家屋敷でボランティアの育成として、NICEの海外ボランティアの研修などを受け入れています。また、2011年以降、福島の子ども達を受け入れるキャンプを年2回、春と夏に10日間で行っています。福島市内の子ども達を対象に小学生の男女25人くらいを毎年受け入れています。 川遊びや小学校のグラウンドで思いっきり走りまわったり、畑に行って農作物の収穫、古民家の掃除、忍者体験など行っています。あとは、日本にも難民の方がいて、UNHCRの取り組みで毎年農作業と武家屋敷交流事業で楽しんでもらっています。

NICEとの初めての出会いはいつ、どんな形でしたか?

確か1993年ですね。代表の開澤さんがまだ学生の時でした。「日本で2つ目のワークキャンプ地を探しています」と、中島さんを訪ねてやってきた。太陽の家は30年目なので、できてからすぐに来ましたね。元々私自身、「花咲き村」という団体を立ち上げ「日の出舎」という重度障がい者施設をサポートをしていました。その時に中島さんと知り合い、中島さんの活動をサポートしていくことになりました。中島さんは無償でやっていた私の活動に共感をもってくださり、『ブランテイア人でほんまにいてはるんや!この人たちがお父さん、お母さんになっていけば、世の中は必ず変わる!』という精神の元、『施設ができたら武家屋敷はボランティアの養成所にするぞ!』という想いがありました。その時に開澤さんがやってきて一緒に始めました。開澤さんは、ワークキャンプでヨーロッパに行き、国際ワークキャンプに参加したとのこと。「国境を超えて、人種を超えて色々な人と一緒に日本でもやっていきたい」と言うのですごいな!と共感したのを覚えています。国際ワークキャンプを開始しました。

そうだったんですね。まさにタイミングですね。それからワークキャンプを受け入れてどうでしたか?

最初の頃は「難民キャンプに行ってきました!」などの参加者が多く共感できたのですが、数年前に国際ワークキャンプでやってきたメンバーに「アナタの将来目標は何ですか?」と聞くと、交流とかそんなことしか出てこなかったです。なんか子どもっぽいというか。最初に開澤さんが描いていた趣旨と違ってきているのでは?と感じてしまいました。2011年の東日本大震災後、うちの職員が泥水を吸いながら福島で支援活動していた報告会をワークキャンプでやったのですが、ほとんど聞いていなかった。創設の時にもっていた、難民キャンプや国境を超えての想いはどこにいったのか?と、国際ワークキャンプの受け入れを辞めましたね。また、元々障がい者の人を武家屋敷で働かせたい、という目標があったんです。夏休みの2週間、武家屋敷をNICEで占有されてしまうと武家屋敷が使えなくなってしまうし、国際ワークキャンプを受け入れていた後半は、せっかく海外から外国人が来てくれたから、日本文化体験をやっていたのですが、それだけじゃないだろうと思っていました。せっかく海外から来るのに、それだけで良いのか?と思っていました。

なるほど。身に染みる想いです。若者の変化も感じていたのですね。しかし、2017年になって再び中長期ボランティアの受け入れを開始したのはなぜですか?

私は障がいをもった人が働けるテーマパークを作りたいと思っています。そのテーマパークは、日本文化の発信、忍者、国際交流などです。地球環境の問題なども忍者を通じて訴えていきたい。そんな中、時代はインバウンド。日の出町でも外国人招致に力を入れています。東京都の観光財団の協力も得て、外国人観光客を武家屋敷に呼んで、テーマパークの一環としていきたいと思ったんです。「オリンピックに行けば忍者になれる!」そんな仕掛けをしているのですが、そういった外国人を巻き込んでいくために、海外からの中長期ボランティアに活躍してもらえたらと考えています。
先日までいたスペインからのボランティアのネウスさんですが、海外から一人で忍者をしにスペインから来る!忍者の森に外国人が3ヶ月間滞在する!と地域で話題になり、実際に活動中も新聞に何度も取り上げられたり、テレビの取材が来たり、地元酒蔵のモデルになったり、忍者イベントのサポートをしてくれたりと大活躍でした。今はインスタなどのSNSも盛んなので、世界中にSAMURAI HOUSEをPRしていけるボランティアを受け入れたいと思っています。
これまでも中長期ボランティアを受け入れていたんですが、当時は職員のアシスタントでした。スタッフが不足しているからボランティアが補うではなく、地域おこしのために何ができるのか。世界の紛争のために何ができるのか?子ども達にどういった世界を残していったら良いのか?を考えて、実践していくことが必要だと思っています。福祉施設とそのボランティアだけの関わりだけだと、ボランティアの真髄からずれてしまうと思っています。

今後のNICEに期待することは何でしょうか?

途上国でワークキャンプ。そういった場所へ、できることをしに行く、助けに行く。そういった経験は大事です。しかし、それだけで終わってしまったらダメだと思うんです。なぜ貧困が起き、スーパーリッチな人がいるのか?貧富の格差はなぜ起こるのか?を自分で考えて、それを失くすためにどうすれば良いかを考え、行動することが大事だと思っています。
これからの社会は、温暖化で気温が4度上昇すると言われています。人類や生き物が生きられるのかという状況です。小さな星の資源をガンガン使っています。『中国の人が日本人と同じ生活をすると、地球があと1個必要、世界中の人がアメリカ人と同じ生活をするとあと4個必要』と言われています。だから、中国人やアフリカ人は我慢すべきだ!では問題は解決しません。この小さな地球で資源の奪い合いをしていると、人類は生きていけなくなります。自分の頭で考えて、行動して生きていくこと。そういったことを実践する人を増やしていってほしいですね。 それが原点だと思っています。そういったことを実践する若者が増えていってほしい。今だけ良ければいい、自分だけ良ければいいではダメです。そんな気合いのある人は、いつでもお待ちしています。武家屋敷の囲炉裏で飲み語りましょう。

久保田さん、ありがとうございました。NICEの昔と今、そして当時と今の若者の変化を知る久保田さん。ボランティア活動の真髄を見失わないよう、叱咤激励をありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。(聞き手・井口育紀)