居場所を提供する
島根県大田市での国際ワークキャンプ・中長期ボランティアの意味


名前
和田さん
緑と水の連絡会議
プログラム名
大田2
開催年
2006年~
内容
青少年の居場所ゆきみーる、小学生やお年寄りとの交流事業
外来種植物の除去・草刈りや竹林から広葉樹林への復元作業
プロフィール
緑と水の連絡会議の事務局長
西日本国際ワークキャンプ推進委員会の運営委員

緑と水の連絡会議の取り組みにについて教えてください。

私たちは、島根県大田市に拠点を置く団体です。もともとは、1992年に草原・里山など二次的自然の保全の重要性を訴えるために設立し、その後、地元三瓶山で行われた和牛放牧による草原の再生に協力するなかで、農家の生業による動植物の保全の重要性に気づき、啓発活動を行ってきました。活動を通じて行政とのパートナーシップもすすみ、1997年には島根県・大田市と共に第2回全国草原シンポジウム・サミットを開催するに至りました。2003年にNPO法人化し、2006年には全国で49番目、中四国地区で初の国税庁認定NPO法人となりました。

NICEとの初めての出会いは、三重県名張市でしたでしょうか?

そうですね。2006年に三重県名張市で雑木林会議(里山・森林保全をされている団体の方が集う全国集会)でした。その雑木林会議を、赤目の里山を育てる会の伊井野さんが主催者として実施されており、国際ワークキャンプのメンバーが運営をサポートする形で行われていました。上田さんとの出会いも、その雑木林会議でしたね。

その後、どのような経緯で国際ワークキャンプを実施することになりましたか?

雑木林会議に参加をした翌年の2007年は、石見銀山が世界遺産に登録された年でした。また、当時、山陰合同銀行さんと一緒に森林保全に関する取り組みが始まった年でもありました。
その2つの流れから、名張市で開催された雑木林会議を次は島根でやらないかというお誘いを受けて、その場の流れで、雑木林会議を島根県大田市で開催することとなりました。
赤目の伊井野さんたちが、雑木林会議の運営を国際ワークキャンプメンバーと一緒にされていたのをモデルにして、私たちもそのイベントの運営をサポートしてもらうために国際ワークキャンプを実施しました。

初めての国際ワークキャンプは、どんな印象でしたか?

とにかく面白く、非常に強烈な印象が残っています。実は、前回の国際ワークキャンプで、これまでの開催数が20回となりましたが、やはり最初のワークキャンプというのは、強く記憶に残っています。
第1回目の国際ワークキャンプのミッションは非常に明確で、全国から集う方々を雑木林会議でお迎えするという内容でした。当時の私たちは、島根県内の小さな団体のひとつで、地道な作業も多く、ある意味事務局は孤独な作業だったのですが、国際ワークキャンプメンバーが、実働メンバーとして、孤独な闘いを支えてくれたという気持ちでした。

その後、継続的に国際ワークキャンプを実施しようということになったのは、どんな経緯がありましたか?

とにかく一回目に来てくれたメンバーが、外国人も含めて、非常に素直で一生懸命やってくれました。ある外国人の方は、「もっと仕事を用意してくれ」と言ってくれたことをよく覚えています。団体の理事長である高橋も、本当に面白い取り組みだということで、継続して実施をしようということになりました。間をあけるのはもったいないということで、翌年の春の半年後には、つぎの国際ワークキャンプを実施して、その後も年2回開催を続けています。

そうだったんですね。面白かったというのは、具体的にどんなところが、良かったんでしょうか。

私たちの団体では、2003年から独自に「里山インターンシップ」を実施していて、それは、全国の大学生を大田市に集めていました。始めたころは、目新しさもあったことや、同じような事業というのはほとんどありませんでしたから、問題意識の高い学生さんが全国からやってきてくれていました。しかし、類似事業が増え、段々と申込者も減ってきてしまい、参加者の動機なども変化してきました。
ちょうどそんなタイミングで、国際ワークキャンプがあり、そもそも海外から参加者がやってくることや、混合チームで運営されていることの良さというものを感じました。そもそも、大田市では外国人も大学生さんも見かけることなど、日常の生活の中でほとんど出会うことがありません。

現在は中長期ボランティアの受入もされていますが、それはどんなことがきっかけでしたか?

2010年から2年間、NICEが農林水産省から委託をうけていた「田舎で働き隊」(農山村で6か月間以上滞在をしながら、地域のNPOなどで働く取り組み)を受入したことが起点になったと思います。
ちょうどそのタイミングで、大田市にある中国電力さんが使われていた建物を私たちの団体が譲り受けることとなり、活動拠点施設を手に入れることができ、その場所の活用ということで、連動した取り組みを行いました。して、現在は、「ゆきみーる」という名称で、コンセプトは『私設公民館』、民間が運営する地域の居場所スペースとなっています。
そのゆきみーるがスタートするにあたり、私たちの団体も常勤職員を持つことになり、その立ち上げ初期を、田舎で働き隊を通じてやってきてくれた若者たちが支えてくれました。2年間の事業が終了してから、そとからの若者サポートを継続したくて、中長期ボランティアを受入れました。

最初は、どんな外国人の方が来てくださったんですか?

常に新しい取り組みを始めるときの最初は肝心ですが、最初にきてくれたアメリカのデビット君がとても素晴らしい方でした。第一印象は、体も大きく、ある意味いかつい男の子の方でした。それが、実際の見た目とは全然ちがって、地域や団体に溶け込んでくれるかわいいキャラクターで、そのギャップがとっても良かったです。地域の方々の受入に対する姿勢が大きく変わったと思います。

国際ワークキャンプと中長期ボランティアの受入をされていますが、和田さんからの視点で、どんな違いがありますか?

国際ワークキャンプは、2週間分の作業内容や課題設定などは、私たちが中心として事前に決めておきます。だからそれなりにボリュームがある作業ができます。
一方、中長期ボランティアの内容は、全然違っています。ゆきみーるは、青少年の居場所事業や保育園、また介護施設が併設されていますので、高齢者や職員さんとの関わりなど、日常のコミュニケーションというものが、メインのワークになります。
居場所の利用者は、高校生ぐらいから30代ぐらいの方が利用されていますが、利用する背景も様々です。ゲームをする、散歩にいく、話し相手になる。そんな日常の暮らしのなかに、外国人メンバーも加わってもらっています。ここを利用する人たちは同年代の友達が少ないので、外部からやってくる中長期ボランティアの人たちとのコミュニケーションは、同年代での関わりとしては、とても重要だと思っています。

本当の意味での居場所となっているんですね。

外国人メンバーが青少年たちとにこにこしながら、話し相手になってくれる。施設の職員さんと一緒に、皿洗いをしてくれる。そんな日々のふれあいが暮らしのなかに、一緒にいるということが、本当にいい影響を与えてくれています。最近は日本人の中長期ボランティアも来てくれています。

最後に、今後のNICEに期待することは何ですか?

国際ワークキャンプや中長期ボランティアは、私たちにとっては、背骨のような事業です。いま、国際ワークキャンプの経験者が、大田市に移住をして、私たちの団体で働いてくれています。さらに、中長期ボランティアを核にして、高校生を巻き込んだ青少年カフェ、英語を学ぶサロン、行政との連携事業などなど、次なる展開がたくさんあります。NICEとの連携というのは、最大の強みになっています。逆にいうと、中長期の外国人ボランティアがいないと困ってしまうような状況にもなっているぐらいです。
この10年間本当に楽しかったです。もちろん、トラブルなどもありましたが、それもいい思い出として思っています。大田に来てくれたら、絶対満足して帰ってもらいたいという気持ちでいますので、今後も、さらなる連携を期待しています。

和田さん、お忙しいところ、ありがとうございました。島根出身として、NICEとの連携が、地域に根付いているということが、本当にうれしい限りです。今後もよろしくお願いします。(聞き手・上田英司)