安部(旧姓:森脇)佳世さんの履歴書。

2012/08/16


安部(旧姓:森脇) 佳世さんの履歴書。

名前
安部(旧姓:森脇) 佳世さん
性別
女性
年代
31才(インタービュー当時)
属性
NPO職員
参加国
日本、韓国

満足度70%の数字に込めた思いは?


終わってみたらまだやり残した感がある。これもできたのに、あれもできたのにって思うから、でもそれが次の活動に繋がって行ったというところがある。2001年に最初に参加した小木新潟県のワークキャンプはリーダーやサブリーダーがすごく大変そうで、私は一般参加者としてすごく楽しかったんだけど、「リーダーは大変なんだろうな」という気持ちと「もっと楽しくできたはずなのになんでこうなっちゃったのかな」という気持ちがあった。それで、翌年リーダーをやるわけだけど、自分からやりたいと言ったわけじゃなくて、当時スタッフだったコバと家が近く年末に飲む機会があったりして、次の年のキャンプの時期が近くなってきたら、リーダーの資料一式が送られてきて、「え?やるんですか?」みたいな(笑)。引き受けたので納得していないわけじゃないんだけど、そんな始まりだった。

小木のキャンプはこの年5月と8月に2回あって、2回リーダーをやったの。大学4年生だったので、就職活動をやってはいたのだけど、5月の開催のときは、次の面接の電話がかかってきても佐渡にいて行けなかったり、ちょっと就職活動との両立は厳しかった。結局翌年卒業した後で韓国に中長期ボランティアにいくんだけど。韓国は山あいのオルタナティブスクールに3ヶ月半いた。それから1カ月旅行して、日本に戻って、就職活動をして3月くらいから働き始めた。

ワークキャンプ自体の満足度は70%くらいと評価したのだけど、そこで終わりにしてしまったらそのままだった。もっとできると思ったから、韓国や他の活動へと進んでいくことができて今につながっている。小木のワークキャンプでは、本当に仲のいい友達ができたり、島の人とも仲良くなったりして、第二のふるさとと思えるような場所ができた。島のおじさんは、今もたまに酔っぱらって電話がかかってきたり…最近だいぶ減ったけれどね。
 

活動のやりがい度は?

やりがいは80、90%くらいあったかな。私はなよなよっとして見えるけど、逆境に強いというか、がーっと向かっていくというか、結構燃えるタイプな気もする。小木のリーダーをしたときは本当に大変で、参加者と島の人の板挟みになって、泣いたりとかいろいろ大変だった。でも、終わってみれば楽しかった思い出の方が多いかな。

韓国の中長期のやりがい度は90%くらいかな。もっと言葉がしゃべれたら楽しかったな。英語を話す先生が2人くらいしかいなくて、後の先生は韓国語、生徒も英語っていっても中学生英語だし。最後のほうはだいぶ韓国語もわかってきて韓国語でもなんとなくコミュニケーションはとれたけど、深い話はできなかったから。100%ではない。けど、これもやっぱり100%だったら逆に次につながらなかったかなぁ。
 

最初にお姉さんが参加されたんですね?


姉が確かアイルランドのワークキャンプに参加したの。姉はその後国内のキャンプとかにもとくに参加してなかったんだけど、私の家はスタッフのコバの家が近くだったので、「花火やるからおいでよ」とかいきなり電話がかかってきて。知らないのに笑。近所の公園で花火やってるからって行ったら、行く姉もすごいなとおもうのだけど当時のアクティブボランティアだったヨシさんとかがロケット花火で撃ち合いとかやってて、死ぬ思いをしたと言っていた(笑)。そんな話を姉に聞いてて、私も大学生になって夏休みに旅行でも行きたいな~と思っていたら、「NICEっていう団体があって、ワークキャンプっていうのをやってるよ。すごい団体だけど面白いから行ってみれば」って言われた。それで、海外にいく予算はなかったから国内のキャンプに参加することにして、そのまま、リーダーをしたり、そのつながりで週末に参加したり、現在も、姉も一緒にNICEのいろいろな人とつながりがある。こういったことを考えると、コバの自宅が近くにあったというのは重要なキーワードなのかも。そうでなかったら、姉の言葉でワークキャンプには参加したかもしれないけど、そんなに深く関わることはなかったかもしれない。
 

中長期ボランティアに参加後、貿易会社や派遣のお仕事に携わられ、今の職に就かれるまでのことを教えて頂けますか?


韓国の後に、貿易会社に入社して、品川の大井ふ頭にある船社の代理店に2時間半くらいかけて通っていてひたすら船積み書類を作っていた。1年半くらい、最後の半年は銀座に転勤になったんだけど、今思うとよく通っていたなと思う。朝6時に家を出て22時まで仕事して、家に帰ると夜中なのに。それでまた翌朝6時に家を出て…。すごいきつかった。しかも書類作成なのでひたすらパソコンに向かって書類を作って、間違っていないかチェックして。船の運航に合わせて作るから、台風とかで船の出航が押しちゃうとさらに残業になってしまうとかその職場は女性がひとりしかいなくて。そこを辞めてから、派遣で医療とかの学会を運営しているようなところで1年くらい働いて。

貿易の仕事で働いていた最後のほうに、もう1日中働いて、土日は疲れきって寝ているような生活に、「これは良くない、何かやろう」と思って、拓殖大学の国際開発教育ファシリテーター養成講座という社会人大学に通いはじめた。会社もあったけど、最後のほうはこちらをメインで気持的には生活するぞ、って思っていた部分があって、でもお金はやっぱり社会人となったからには稼がなきゃいけないとも思って、派遣に変わった。そこでの出会いも、JICAの人がいたりとか、またNICEとは違った面白さがあった。いろんな年代、経験の人がいた。土曜と水曜のコースに分かれていて、私は水曜のほうに行っていて、たしか19時から21時まで2時間。終わってからみんなで食事に行ったり、夏休みはインドネシアにスタディツアーに行ったりもした。国際協力系の仕事の人や、リタイアして楽しんでいる人や、いろんな人と会った事で、若者だけじゃない国際協力の世界を知った事も、そのあとの仕事の選択肢として「NPOっていいかな」と思ったきっかけになった。それで、その大学を卒業してから、 現在の職場であるさいたまNPOセンターに就職。27歳くらいかな。さいたまNPOセンターは、確かNICEのメーリングリストで募集を見て応募した気がする。以前うちのNPOでインターンをやっていた人が流してくれていて。そして、採用が決まって、「さいたま市市民活動サポートセンター」という、さいたま市の市民活動、NPOを支援する施設の運営にスタッフとして立ち上げから入って、気付けば3年、4年目かな。結婚したのは28歳、出産は29歳。出産して5カ月休んで復帰。職場は常に人が足りないのでのんびり休んでいられなかった笑今回も安部さんは2人目を妊娠中入れれば保育園に入れて4月から、と思ってるけど、6か月以上じゃないと預かってくれないかな。でも4月からの復帰を目指している。
 

今後の展望としては


現在のの仕事はやってみると施設が大きいせいか、施設運営に追われて、あまり現場感がないので、もう少し現場に関わりたいな。開発教育とか、平和教育とかもだけれど私は若者に対して何かアプローチすることに興味があって、フリースクールとか、韓国でもオルタナティブスクールでボランティアしていたし。その影響もあるのかな。
 

若者支援とは、どちらかというと課題を持っている人を対象にしたものですか?


そうだね。韓国のスクールはいじめとか、そういった課題を持っている人がたくさんいるような学校ではなかったんだけど、そうだな、栃木の若者自立塾に何回か行った事があって。そこを通じて、なんとなく今の若者にこういった人がいるこれはよくないのかなという問題意識が出てきた。一番色々できて楽しい時代を、自分の殻に閉じこもっているっていうのは、すごくもったいない気がして。この問題に対してもっと社会としても個人としてもやれることがあるんじゃないかな。あと、開発教育の関係で、なんかそのあたりと若者の自律支援なんかを繋げられるといいのかな。若者自立塾とかで、例えば自分はもう駄目だと思っている人が、実際途上国へ行くともっと厳しい環境でそれでも一生懸命に毎日を暮らしている人がいるから、そういう人を見たときに、やっぱり本人も思うところがあるし、そこから何か変われるきっかけがまれたりしないかなと。だから日本の若者と途上国との接点を作りだしたいなって。そう考えると中間支援ってNPOや市民団体のネットワークを作りだしていく仕事だからすごくおもしろいんだけど、もっと枝葉を広げていきたいなと。でも2人目が生まれたら余裕がなくなってたぶんしばらくはあーーーってなるかもしれないね。
 

子育てをしながら、働くのは大変ですもんね。


うん、でも子どもを持った事で世界が広がったかな。色々な経験が逆にいきてくるかなって思うよね。保育園なんかにいくと、今までは知りあう機会がなかったようなジャンルの新しい友達もできるし、これからは今までの友達も子持ち世代になっていくだろうから、親の活動、交友関係に子どもを巻き込んでいくとおもしろいんじゃないかって思うな。
 

成長ダイアグラムについて


5が少ないのは、のびしろがあるから。完全に満足していないから、まだまだ自分から広げていけると思うから。ただ、すごくNICEで身についたなと思うのは、やっぱり、この「人と社会とやっていく力」かな。特に小木のワークキャンプで、今まで自分の中にはいなかった人種とたくさん出会えた。佐渡のおじさんは「おはよう、まぁ飲めよ」って言って差し出されたのが、水じゃなくて日本酒だったり。良い意味でいろんな人がいたな。あー、この人に会っておいてよかったなって人が、小木だけじゃなくって、リーダー繋がりで飯田や筑波とか行かせてもらってそこでも出会えた。代表の人はおじさんやおばさんなんだけど、すごく魅力的な人が多かった。こういう魅力的なおとなって普段近くにいないよね。年取ったらああいうおとなになりたいな、ああいう事したいなって思える人に出会えた。そういう意味でもすごくいい経験になったな。そういうのを見ないで普通に会社へ入ってしまったら、一般企業って、結構理不尽なトップダウンでくることが多くって、こういう人ばっかりか――みたいになっちゃうかもしれないけれど、こういう大人だけじゃないんだぞ、と思えるのはNICEのおかげかな。でも逆にそういう魅力的なおとなを見てしまったからこそ、普通の会社にいることが息苦しかったのはあるけどね。
 

最後にメッセージを


とりあえず、何でもいいから経験をしたら良いと思う。とりあえずやめとこうって思う人が、今多いのかな。職場に来るボランティアの子とか見ていても、楽な方楽な方へ流れる子が多いんだよね。センターのイベントでボランティアの受け入れをしていても、高校生から70代まで募集がきて、何をやりたいですか?ってアンケートをとると、70代の方がこんな暑い中、こんな仕事して大丈夫?って活動を希望して、高校生が1日座っている活動を希望して。逆でしょーーって。これはまぁ、また別の話かもしれないけど、とにかくやってみようかなっておもったのに躊躇して、やめとこうかなって思って、なんかそのまま若い時代が終わっちゃうよりは、やってみて、失敗したら失敗したでもいいから。とりあえずは始めてみないと得られるものだってないし何も動かないよね。

NICEも、親子キャンプとかやりたいかも。ニュースなんかを見ていると色々今の社会を危惧したくなるけど、子どもが住みやすい社会を、私たち自身が動いて作っていかないとなって思う。学校や保育園以外で、NICEとか、いろんなおもしろい親がいる子どもたちと触れあうってのは、大切だと思うんだよね。そうして、自分もいろいろ経験をしながら、子どもも、みんな一緒に成長していければいいなと思う。
 

ワークキャンプわたしの履歴書一覧に戻る