山口(旧姓:中平)博子さんの履歴書。

2012/08/16

暮らしから学ぶ場を提供したい。
山口(旧姓:中平)博子さんの履歴書。

名前
山口(旧姓:中平)博子さん
性別
女性
年代
32才(インタービュー当時)
属性
食の活動(期間限定カフェやイベント企画など)
参加国
ネパール

満足度 80%、活動のやりがい度60%。

「現地の人たちの役に立ちたい」という思いが実現されなかったので-20%だし、やりがい度も60%。ボランティアワークは山火事を防ぐためのfire trailを作ることだったんだけど、現地の人たちが求めている活動だったのか、ニーズがあったのかが見えなかった。ワークキャンプ期間ですべてのtrailを作ることは到底不可能で(山は広く、一部分作っただけでは山火事を防げない)、ボランティアが継続して活動する必要があるにもかかわらず、活動が継続されるのかどうかもあいまいなまま。ボランティアに来たメンバーは、自分のお金・時間を工面して参加しているのだから、ワークの目的やどこまでやるのかが明確だとよかったなーって。あと、メンバーが多かったから、ひとつになるという雰囲気が弱かった。日本人はまじめな性格だから?、ワークに疑問がでてきてもしっかり取り組んでいたけれど、ヨーロッパのメンバーはだんだんワークに対するモチベーションが下がってさぼりだしたり。お金の問題もでてきて、雰囲気がちょっと悪くなってしまって。一体感を生み出すには20人くらいがマックスじゃない?日本人も8人いたから、もう少し国籍や人数のコントロールがしてもらえたら嬉しかったです。 ただ、参加動機である、「自分たちの暮らしとは違う、第3国の暮らしとはどんなものか」を体感できたのは大きいかな。ネパールに行けたこと、旅行では味わえない現地での生活、他の国の人たちとの交流にも満足しました。

モヤモヤしたまま活動が終わり、帰国した次の日から社会人になった山口さん。社会人となり忙しい毎日を過ごしていたとのことですが、約2年後にNICEの活動に再び関わり始めていますよね?

学生時代の最後に、NICEを知ってネパールへ行くことになって。ネパールでの活動はちょっと不満が残ったんだけど、行く前のプレキャン(事前研修)とかはすごく楽しかった。私の場合、帰国後すぐに社会人になったから時間がなかったけれど、もっと早くに知っていればNICEでもっと活動したいなって気持ちは持っていました。  社会人になって1年半くらいかな?突然NICE事務局から電話がかかってきたの。「ネパールの国際ワークキャンプメンバーだった韓国の子が日本に来ていて、博子に会いたがっている。番号を教えてもいいか」って。もちろんOKを出して、その韓国の子と再会したのね。その時に、韓国の子から「博子と気が合いそうな日本人がいるから紹介する」と言われて、会ったのがBちゃん。その当時BちゃんはNICEの理事もしていて、どっぷり活動している子だったから、一緒にNICEの秋合宿やイベントに参加するようになった。それで、自分の興味がある「教育」に関わりたいと思って、NICEなんちゃーチーム(*NICEなんちゃーチームとは、総合学習チームの前段階の名前。なんちゃってティーチャーの略らしい。小・中学校での出前授業を担当するチーム)や総合学習チームに関わるようになったの。 NICEに関わるようになってきた時に、NICEから団体に対する意見を求めるメールがきたの。ずっと感じていたことを伝えられないままできちゃったから、この機会に伝えてみようと思ってメールを書いたの。そしたら、NICE代表のかいさん(開澤真一郎)からすぐに返事がきたの。そのことにすごく感動して。団体の代表である人が、何千人の会員の中の一人である自分の意見にすぐに応えてくれるってすごいことだなぁって。

26歳で退社し、様々な講師を経験された後、デンマークへ行ったんですね。デンマークに行こうと思ったのは?

実はデンマーク行きを決めたのも、NICEがきっかけで。当時NICEの会員だったM.Iさんがメーリングリストに投稿した、2泊3日のレボルーションキャンプに参加したの。そこで知り合った一人の女性が、デンマークの学校やエコビレッジを紹介していたのね。その話にびびっときて。デンマークでの教育の在り方を体感したいと思いました。それで様々なバックグランドを持つ人が集まるInternational People’s collegeへ。そこでは、英語学習はもちろんのこと、国際関係やスポーツ、ダンス等、自分の興味で授業を選べるようになっていました。毎日いろんな人と交流をして、学んで、遊んで。すごく楽しかったけど、デンマークへ行こうと思った動機は「教育の在り方を体感する」だったから、遊んでいるだけではだめだ!と思い、後半は自分で森のようちえんや教育現場に足を運びました。

デンマークから帰国してから、またNICEの活動に関わっていますね。

帰国してからは、派遣会社に勤めました。営業職だったけれど、20~30代の女性派遣職員さんのキャリア相談が結構メインで、以前やっていた高校生の進路相談の延長という感じで、仕事自体も楽しかったです。また、引き続き学校現場に関わりたいと思い、高校生に授業を行う奉仕チームに参加しました。キャリア教育など自分たちで授業の内容を考えて、高校生に伝えて。みんなで一緒に創り上げていくのがすごく楽しかった。

リクルートスタッフィングを経て、結婚、食の活動とめまぐるしく変化していますが、何か山口さんの中で感じることがあったのですか?

仲間と一緒に、奉仕の授業じゃないけど、教育に関するワークショップを行う団体を立ち上げようともしたんだけど、自分がなりたいのは「コーディネーター」じゃないなと思って。高校生の進路相談会も奉仕の授業も、自分が相手に提供しているものは、ホンモノの学びではなくて、きっかけにすぎないなって思ったの。もちろんきっかけを提供することも大切だけれど、私は暮らしの中から学ぶことの大切さを実践者として伝えたいの。例えばグリーンウッドが「里山の暮らしの中に学びがある」という考えで、教育活動を展開しているように、農をベースに手間暇かけて暮らす、その暮らしの中から大切なことを伝えていきたいなって。だから、Earth Kitchen(生きることは食べること。そんな身近な“食”を通じて、地球の恵みを感じ、自分の心と体のあり方、人や世界とのつながりを感じてもらいたいとの想いで、パーティ等での料理提供、期間限定カフェ、食や環境などをテーマとしたイベントを開催)で色んな活動に取り組んでいます。今は千葉に住んでいるけれど、山梨で暮らしを作る場を探しています。色んな人とのつながりができてきたから、今年度中には移住する予定。ちょうど、旦那の仕事も今年度で区切りがつきそうだから、旦那の夢である半農半ゲストハウスと、私が目指す、農や暮らしの中から学びを提供する活動にシフトしようと思っています。

成長ダイアグラムについて

4)と5)以外が4の理由は、2週間のワークキャンプで〇〇のスキルが身に付きましたってことはなかったから。ワークキャンプはひとつのきっかけにすぎなくて、その後のつながりや活動を通じて、少しずつ色んなスキルを身に付けていったと思うの。ワークキャンプそのもので、としてしまうとすべての点数が3かなと思ったんだけど、今につながるきっかけをくれたので4としました。  ただ、社会への考えや価値観は影響を受けたかな。自分が知らない未知の世界で生活をして、そこで出会った仲間とボランティア活動ができたってのは、すごいことだなぁって。

では最後に、これから参加を考えている人は何かメッセージをお願いします。

伝えたいことは、「熱いメッセージ」のところで書いたことが全て。本当にとりあえず、行ってみたらいいと思う。やらないで後悔することはあっても、やって何も得られないってことはないはずだから。ぜひ、新しい世界に飛び込んでみてください。

山口博子さん 2011年9月5日(月)11:00 電話インタビュー

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