上西(旧姓:田中)淳子さんの履歴書。

2012/08/20

様々なチカラをくれた、ワークキャンプ。
上西(旧姓:田中)淳子さんの履歴書。

名前
上西(旧姓:田中)淳子さん
性別
女性
年代
29才(インタービュー当時)
属性
大手情報通信会社
参加国
韓国、フランス、日本

満足度100%とありますが、この数字に込めた思いは?

100%がマックスだから100%、満点です!どのキャンプもすごい良かったです。

最初に参加した庄原の国際ワークキャンプは、がつがつ働く感じなのかなと思っていましたが、友達がたくさんできて、英語を話す場所もあり、これいいじゃないのと思いました。

庄原に参加する前にプレキャン(NICEが行っている事前研修。プレ・ワークキャンプの略)へ行くと、たつや(現NICE副代表、塚本竜也)がいて、庄原を自分が初開催でリーダーをやるから参加すると誘われて、じゃあ行きますと。その庄原が楽しくてはまり始め、次は渋谷。徐々に海外も行き、ステップアップをして、最後はリーダーもしましたね。

実は、プレキャンに参加したのも結構適当で、あ、2日後にあるみたいな感じで、電話したらいいですよって。そこからとんとん拍子で参加が決まりました。

NICEは、「ボランティア活動」「海外」で検索して見つけたようですが、他の団体は見なかったんですか?なぜNICEに参加をしようと思ったのですか?

(検索して)一番上にでてきたからです。それでホームページを見て、これ行ってみよーって思いました。それで2日後にプレキャンへの参加を決めました。あやしいなとは思わず、とりあえず行ってみようかなと。でもさすがに、集合時間や駅が書いてありましたが、本当にいるのかなと最初は思いました。でもちゃんと駅に行ったら、「NICE」って書かれた紙をぴろぴろさせた人がいて、いたいたーーって。

そうなんですね。では、活動のやりがい度100%は?

リーダーをしたので、すごいやりがいはありました。一緒に行くメンバーの子で、お母さんがすごい心配していて、お母さんが空港まで挨拶しに来ました。私の顔を見るまで行かせられないって。電話とかもしましたね。本当に変な団体じゃないです、娘さんをお預かりしてきますって挨拶しました(笑)。責任重大だなと思いましたが、無事に終わることができて本当に良かったです。

リーダーは、達成感がありますね。リーダーをやったのは3つ目のワークキャンプでしたが、夜のワークショップとか、準備しながら、「本当に私できるの?」と思いました。ハラハラドキドキだったけれど、実際終わって帰ってくると私できちゃったって思いました(笑)。

大学卒業後、2年たってからNICEの理事に就任されたようですが、なぜ理事に挑戦しようと思われたんですか?

もったいないなっと思ったからです。社会人になってからも、週末ワークキャンプとかはちょこちょこ参加していました。当時社会人あまりおらず、どうせだったら運営サイドに回って、アドバイスとか、役に立てることがあるなら続けたい思いました。社会人になってからみた時に、もともと社会人経験後にNICEの運営に携わっていた人は少なかったので、運営とか経営に関して、やっぱりノウハウ、経験が足りない部分がある様に見えたのです。続けようと思ったのは、NICEが好きだからですね。学生時代4年間長いこと関わっていましたからね。(NICEが)どこまで組織として成長するのか、見届けたいと思い始めました。

ワークキャンプとその後の人生について

NICE を通じて出会った仲間が次々と海外へ旅立っていくのに刺激を受け、自分も海外で働きたいと考えるようになった。そして、その夢は達成することができて現 在、公立学校の教諭として働いている。海外での生活は、夢のような日々だったので、またいつか「海外で働きたい」という気持ちがある。数年後に、日本人学 校の教諭と行くチャンスがあれば行きたい!!

そんな活動を通じてついたチカラについて教えてください(成長ダイアグラム)。

草刈力が劇的にアップしたので4にしました。草とか、木を切ってばかり。庄原では、一般人なのに、普通にチェーンソーで木を切らせてもらって、鉈(なた)とかも使いました。実は鉈好きです(笑)色々道具はあるんですが、鉈がスパーーーンって切れるので一番楽しいです。フランスのワークキャンプでも木を切って、ひたすら薪割。ただの木こり生活です。ワーク地まで歩いていくので、みんなでお弁当作って、紅茶入れて、着いたらそこでたき火を始めて、くそ寒い中、ひたすら木を切って、それを担いで持って帰って、冬を過ごす、ガチなワークでしたね。だから草刈力の一点のみで、(実務的な知識・スキルが)ハイスコアなんです。

(人・社会とやっていく力)協調性とか社会性とかぐっと高まりました。新しく友達になったり、色んな国の人と友達になる事に関して、一切抵抗がなくなったのはラッキーでした。大学行って座学しているだけでは身につかないですからね。

(自分でやっていける力)外国にそもそも一人で行って、ツアーガイドさんがいるわけでもなく、空港からバスに乗って、僻地まで行って、そして帰ってきたっていうが、ものすごい自信になりました。どんな事でもなんとかなるんじゃないかという、根拠のない自信が生まれましたよ(笑)。今の英文案内状(プロジェクトへ参加が決まった人がもらえる案内状)は、結構しっかりして書かれていますよね。でも当時は、本当に薄いペラペラな日本語が書いてある紙が1枚あるだけでしたので、それだけを見て、長距離バス乗って集合場所まで行けるんだろうかっていう不安はありましたけど。

そして、生きる力がめちゃめちゃつきました。シャワーもなく、公園の水で行水みたいなこともあったけど、「寒い寒い」と言いつつも耐えました。後は、夏場は蚊とかハエが飛んでても、とりあえずお腹すいてるから、平気でご飯食べれちゃう(笑)。寝袋とか、衛生面が不十分な所でも、大丈夫大丈夫と逆に楽しめる様になりました。

(社会への考えや価値観)ボランティア活動については、元々漠然と興味は抱いていましたが、今では、自分の中で大きな割合を占める様になりました。私の脳内は、仕事(50%)、ボランティア(30%)、友達・家族(20%)ですね。皆さんも東日本大震災があってから、ボランティア活動が随分と身近なものになったと思いますが、私の場合は特に理事になってから、常にどうやったら社会貢献ができるの考える様になりました。ニュースを読んでいても、ボランティアは社会の中でこういう役割を担っているんだ!と考えています。かいさん(NICE現代表、開澤真一郎)が良く言うのですが、「ボランティア」という言葉がなくなって、普通にみんながナチュラルに活動できる社会になったら、私達の活動はゴールを迎えられるのです。あー、どうしたらそういう社会になるのかとか、そのため私自身何ができるんだろうかとかを、スタバでコーヒーを飲みながら考えてしまっています。まったくもってNICEのせいですよ(笑)。

(その後の人生に活きた人脈)マキバ(現NICE理事の馬本さん)の結婚式に今度出席します。10年ぐらい前の、大学が一緒でも無い、知り合いの結婚式に出席させて頂けるのは、めずらしい事ですよね。

進路・目標にはそれほど影響を与えてないようですね。

私が今の情報会社を選んだのは、元々理系の仕事に就こうと決めていたからです。高校時代に理系の仕事に就きたい思いましたが、研究室に入ると、ずっと大学へ行かなくてはならないイメージがあったので、大学は遊ぼうと思い文系にしました。IT系の会社なら入社後から勉強スタートと聞いてましたので。ただし、SEは知識労働(しかもハード)のため、理系の大学に行けば良かったと今ではつくずく思いますが(まーどう考えても当時の私は勉強しませんねぇ。)大学は商学部に在籍し、安定志向からか資格を取得しようと一瞬思い税理士を目指して勉強しました。丁度NICEオフィス@新宿から5分くらいの会計事務所でアルバイトしていました。ところが、税理士の仕事というのは、四半期毎に、毎年同じ作業をしてることに気付きまして、「あーつまらない」と、自分にはむいていないと思い、バッサリ辞めました(笑)。

当時の会計事務所ですが、5名くらいの事務所でしたが、ある日途中でクビになりました。事務所側から、もう来なくていいよと、衝撃でした。当時私はバイトでしたが、普通に社員さんとして働いていた人は茫然自失でしたね。クビになった3人でお茶を買って、新宿御苑のベンチに座って、どうしましょーって話をしました。そんな悲しい事件で、絶対大手に勤めてやると心に決めていました。就職は、縁があり大手の情報通信会社に勤めさせて頂いています。だから、NGO団体で働くという勇気は、残念ながら当時は持ち合わせてなかったのです(笑)。食べていける分はなんとしてでも稼ぎたかったのです。

今の仕事で、国際ワークキャンプなどでついたチカラでこんなことが役立っているなってことがあったら教えてください。

異文化理解とか、その中での協調性とかが役に立っているろ思います。今の仕事は、システム開発なのですが。中国人とベトナム人に、実際ソースコードを書いてもらってます。日本側はこういうシステムを作りましょうという設計をするだけ。建築で言うと、図面を書く所しかしません。そうして、韓国人、中国人、ベトナム人をまとめて1チームを作ります。システムの中の、ここの部分をこの会社にお願いしますという形になりますが、その時に、仕事の頼み方が変ります。例えば中国の方だと、確認を怠るとサボる傾向にあります。でもちゃんときっちりきっちりここはやってる?って確認をすると、キレイなものが出来上がってきます。逆に日本人は、自分の仕事が終わって隣の人の仕事が終わってないと手伝ってくれたりとかしますが、がつがついかないので、技術力はそんなに上がらない傾向があります。中国の人は蹴落としてやるぞっていうくらいでやるから、技術者としてのレベルはすごく高い。そういう違いが色々ある中で、1チームにしなくてはならないのですが、若い時にボランティアでプロジェクトを持って、じゃ私木を切る、ご飯作るってナチュラルに分かれていくのを見ていると、みんなで1チームを作り上げるという事に全く抵抗がないのです。ワークキャンプでは、この人のいいところ悪いところっていうのを、2週間という短い時間で見極めてやらなきゃいけないので、一瞬で人を見たりする力が身についたのかと思われます。私は、普通にみんなできていると事なのか思っていたのですが、意外にそうでもないらしいのです。仕事を、中国の方に頼んでおいて、できませんでしたって返ってくるとするじゃないですか。なんでできてないんだ、「俺は言ったのに」という人がいますが、それは違うでしょ。頼み方があるのですと思います。中国に出張へ行くときには、日本製の粉ミルクをお土産で渡したりとか、中国の方でお酒が好きな方には、一回は酒を酌み交わすとか。そうすると親近感がぐっと増したりとか、効果があると思うのです。

今後の展望は?

今の仕事は楽しいです。なので、バリバリ(古いですかね)といきたいです。家事業は、ほぼ旦那さんが全部やってくれています(笑)。家庭は旦那さんが守ってくれるはずです。

NICEは、長く付き合っていきたいですね。私が19歳で会員になった時は、設立10年程度でしたので、知名度も高くなかったのです。私が卒業して、会社にはいる頃には、同じプロジェクトの人でNICE知っていますという人が何人かいて、知名度が確実に上がっているのを実感しました。

最後にメッセージをお願いします。

最近の若者は覇気がないとか言われているような、世間の風潮はありますが、好奇心を持って、常に楽しいことにチャレンジしていくような姿勢を持ってほしいと思います。それを体験できる、NICEは良い自分をステップアップさせてくれるステージだと思いますね。NICEで経験して、どんどん大きくなってほしいと思います。留学と違ってお金もかからないし(笑)。

システム開発は、数年前は町工場みたいでした。とてもローカルで、もちろん日本人SEだけで、お客さんに要望に合わせて物を作る仕事が多かったですね。でもどんどん今は、座席はどこに座っても仕事ができて、家でテレワークで働いていてもいいし、中国やベトナムにも行くし、場所を問わない働き方になりました。グローバル化は確実にきてしまったのです。そして、競争に勝たないと、食べていけないのです。

大学生の間に、ワークキャンプを経験する事は、本当にお勧めです。ワークキャンプは、仕事でいうプロジェクトのミニチュア版みたいで、時間は2週間と区切られていて、目的も設定されています。いろんな多国籍なメンバーで何かを達成していくという、そのプロセスを何回か繰り返し経験すると、仕事の仕方が身に付く効果があると思いますよ。

2011年10月10日(月)@NICE全国事務局

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