簑田洋平さんの履歴書。

2012/08/20

「PR」で国際貢献・社会貢献。
簑田洋平さんの履歴書。

名前
簑田洋平さん
性別
男性
年代
31才(インタービュー当時)
属性
PR会社・フリーランス
参加国
ケニア、日本

幼少の時から国際協力に携わりたいと考えていたとありますが、何かきっかけが?

小学校5~6年生の時にテレビや新聞の報道で見た「湾岸戦争」かな。当時、幼かったこともあり、「ニュースを見て、戦争をどうにかしたい。なくしたい。」って思った。でも、それがそもそものきっかけかな。

それで21歳でケニアの国際ワークキャンプ参加を決め、その後名張にも参加した簑田さん。満足度と活動のやりがい度の数字に込めた思いを教えてください。

ケニアの国際ワークキャンプは、小学校の補修作業をするという項目(ボランティア活動)で行ったんやけど、行ってみたら全然違う内容になっていた。 「マサイ人が住む村の水不足を解消するために、溜池を作りましょう」に変わってしまっていた。しかも、どんな溜池を作るのかというと、普通におっきい穴を 掘るだけ。大きさとしては、大体このオフィス(NICE事務局)の敷地面積5個分みたいなそんな感じで、しかも手作業でやるという、結構無計画なプロジェ クトやったから、なんじゃこりゃっっ、て感じやった。こういう風に、元々の枠組みがめちゃくちゃやったから、満足度については20%くらいになるのか なー。純粋な活動だけを見ると、0%やけど、経験として「ボランティアってこんな一面もあるんだな」ってことを肌で感じることができたし、外国の人らと がっつり仲良くなったのは初めてやったから、そういう意味でいうと20%になるんかな。

名張はさのけん(NICE元会員)がリーダーで、ある意味すごいよかった。俺はサブリーダーやったんだけど、彼がひとりでリーダーとして立てるぐら いやってな。さのけんがすごいしっかりしていたから、彼に頼っちゃってしまったけどね。俺、いちスタッフみたいな感じになってしまってたわ。ちょっとサブ リーダーとしてはよくなかったなと思ってる。ちょっと、こう遊んでもうたって感じがあるから、そういう意味で満足度は40%かな。ただ、名張の活動自体 は、目的や実施内容がしっかりしていたから、良いものだったと思う。

ケニアでの活動の満足度が低かったにも関わらず、帰国後もNICEの活動に顔を出したり、サブリーダーを務めようと思えたのはなぜでしょうか?

あー、ええ質問しますね。なんでやろうな。2つあるかな。

一つ目は、あん時(ケニアでの国際ワークキャンプ参加時)できひんかったから、ちゃんとできるようなことをしたいっていうのがある。リベンジという か。リベンジでもないんやけど、そもそも枠組みが良くなかったとはいえ、できなかったことは事実やからできるようになりたいなと思って、もう一回名張に参 加したのが理由。

もう一つは、横のつながりができたんやんか。例えば俺でいうと、としき(NICE会員)とかおさむ(現国際ワークキャンプ@和束の共催団体)とか、 やす(現NICE事務局の井口育紀)とか、まりこ(NICE会員)とか。そういう仲間がおったから、そこにおって居心地がよかったし、もう一回やってみよ うかなと思えた。

その仲間に出会ったのは、国際ワークキャンプに参加する前の事前研修(プレキャン)ですか?

ええっとねー、ただいま会(国際ワークキャンプに参加した人たちが、帰ってきてから経験を共有する場。事後研修)。すっごい細かく言うと、としきは 事前研修。でも事前研修でそんなに仲良くなれるはずがないやんか。ただいま会で、おーーーっと再会して。そこにおさむがおって仲良くなって。やすはなんで かな。覚えてへんわ(笑)。もしかしたら重要ファクターでないかもしれない。後からついてきた。後ろ向いたらあれって。まぁ、それはいいとして、今の仲間 と出会ったんはここ(ただいま会)やったな。

ただいま会に参加しようと思ったんは、なんでやろうな。正直言うと、あんまり参加したくもなかったしな。参加はマルヒツ(必須)でも、なかったよ ね?なんでやろな、どうやったっけな。たしか、当時はケニアへ行く人が少なかったやんか、世の中的に。だからそこまで自分の行ってきた気持ちとかって、周 りの人たちと深く共有できへんかってん。大阪外大に通ってて、クラスのみんなとスワヒリ語をやってたけど、そこまで共有もできんかったから、自分みたいに 僻地へ行ってきた人の感覚的なものを聞きたかったんかな。だからだと思うな。

大学を卒業後、「自分の方向性が定まらない日々が続く」とありますが。。。

とりあえず社会人になったっていう時期やってん。社会人になってみて、このまま行くのかなと思ってんけど、なんか物足りへんなって。社会人になった 当初は、国際協力とはほとんど関係ない仕事やった。自分の“思い”をつなげられなかったんよね。当時は仕事としても、ライフワークとしても国際的なことを やろうっていう意識もなかったねん。だから、今までやってきたことと、完全に遮断された中というか、切り離した中で生きててん。それは自分が勝手に切り離 していたかもしれへんけど。それでちょっとどうしようかなと思って。迷ったあげく、「やっぱり俺違うわ」と思ってそこを辞めてん。

次にPR会社に入社していますが、何か考えがあって?

辞めてから、どうしようかーってなった時に、PRに出会った。だから「PRの仕事がしたい」と思って、辞めたわけではないねん。どういう風にPRに出会ったかを話しとくわ。

ちょっと遡ると、大学時代にユーゴスラビアの紛争に興味を持って勉強していたこともあって、会社を辞めたタイミングで当時読んでいた本を読み返した り、枠を広げたりしてんやけど、そのとき1冊の本と出会ったねん。『紛争広告代理店』っていう本。内容としては、ユーゴスラビアの紛争にPR会社が関わっ ていました、ていうやつ。ちょっと具体的に流れを話すと、当時紛争はたくさん起こっていたけれど、ユーゴスラビアの紛争が注目されたのは稀なことである と。なぜかというと、特に資源も関係ないし、普通の紛争って今までで分かることは、キリスト教が正義で他の宗教が敵だっていう構図になる。ユーゴスラビア の紛争はセルビアが悪玉になったんやけど、セルビア正教ってキリスト系なんよね。ボスニアヘルツェゴビナとかクロアチアは、ざっくり言うと半分ぐらいがイ スラム圏だから、特異な紛争やねん。この紛争を、地域的なニュースではなくて、世界的なニュースとして、仕掛けたんが、PR会社ですよーって内容やねん。 もちろん本やから、若干脚色とかあって、ある意味“良い風”に書かれているとは思うけど、単純に「すごいな!」って思った。ほんで、PRってすごいなーっ て思っている矢先に、郵政民営化選挙があった。郵政民営化選挙って自民党内の選挙になったやんか。あの時にちょうど自民党がPR会社を雇ったタイミング やってん。で、すごいなっと思って。PRってこういう世の中を動かす力というか、注目させる力ってあるんやなと思って。「そしたら、これを何か国際貢献と か社会貢献に使えるようになったらいいんじゃないかー」っていうことで、PR会社に入ったねん。

この気付きからずっと「PR」を貫いているんですね。

そうやな。でも今は正直そこまでPRにこだわりはないけどね。根底としてはあるけれど、それだけじゃ解決できないことっていっぱいあるから。どっち かというと、マーケティングPRとかコンサルティングPRとか、ちょっと造語やけど、PR発想のマーケティングとか、PR発想のコンサルとかをしないと、 抜本的な解決にはならないなと思ってる。例えば、どっかの小さなNPOからどうにかしてくださいと依頼がきたとする。そこで出せる答えとして、PRだけの 発信では、大きな解決はできないと思うねんな。問題として情報発信能力以外にも、やっぱり組織運営能力を初めとして、組織の中には色んな課題があるやん か。だから情報発信能力だけ解決しても、中身がうまくいってなかったらつぶれちゃうから。そういう意味で全部をうまくしなくちゃならないなっていう意味 で、コンサルが必要やね。ただし、出発地点は自分の中ではPRになるね。こういう風にPRでやっていくから、ここをしっかりしなくちゃならないとかね。そ もそもここをしっかりしておいてくださいねとか。そもそも方向性はどこなんですかとかね。目的は?とかね。そういうことを突き詰めていくと、コンサルやね んなーって。

今後としては34歳で「社会貢献、NPOのマーケティング・広報と言えばポジション」の獲得を目指して動いていくんですか?

これ、37歳かな(笑)。できればいいなって感じやけどな。途中どうなるかわからへんけどな。国際協力だけでなくて、社会貢献っていう軸で動いていこうかなっと思っとります。

履歴書を書いてみて何か感じたことはありましたか?

当時は、履歴書に書いたように、頭の整理はできてなかったね。こんなにちゃんと考えられてなかったけど、この10年ぐらい経って、自分が論理的に考 える能力がついたなって書きながら思ったんよね。ちょっと自分でびっくりしてた。PR会社に入ると、全部のことを論理的に考えないといけない。論理的に考 えて、論理的に説明して、論理的に理解してっていうのがあるから、その能力がついたんやなって。

そんな能力がついたという簑田さんにお聞きしたいのですが(笑)、これからNICEに参加しようと考えていただいている方々や今まさに参加していただいている方々に対して、NICE含めた様々な経験を整理して、今後につなげるためにはどうしたらいいのか、何かアドバイスはありますか?

能力がついたというか、まぁ、やっと人並みになったってことやけどね(笑)。まず最初に、直接アドバイスには結びつかない僕の個人的な話になってし まうけど、いいっすかね。えーっと、僕が当初、NICEに求めていたのは、将来国際協力フィールドで携わる際に、実際に役立つような「経験」やった。そう いった経験を積むために、NICEに参加していた。けど、あんまりそういったことは、自分が期待するほどは得られんかった。それよりもむしろ、おもしろく て刺激になる友達を得た。なんか、改めて、こうやって振り返ってみると、当時考えていたこと、求めていたことと、今の結果は全然違ってるねんな。でも、そ れはそれで全然良かったと思ってるし、むしろ今の結果の方が良かったかもしれん。

だからなんやろな、国際協力とか社会貢献に興味ある人たちに限らずやけ ど、そういったある種、将来像が漠然とした人たちとか、新しいステージへのステップに対して二の足を踏んでいる人たちとかに、何かアドバイスするとした ら、普通は「どういう目的があって」「どういうことを得たから」「どういうことをするのか、したいのか」ということを、各人自身に整理させて、考えさせ て、そして辿り着いた結論を意識させたりするべきやとは思うんやけど、NICEに関していうと、むしろそういったことはしないほうがいいかなって思う。幅 広くというか、ざっくりと意識するぐらいのほうがいいと思う。なんでかっていうと、学生時代って大概の人が何やったらいいかわからへんやんか。そういう 時って、頭でっかちになるんじゃなくて、がむしゃらに動いたほうがいいと思う。色んな所へ行って、色んな人と出会って、色んなこと話して、いろんなことを 感じたほうがいいと思うねん。でも下手な鉄砲撃ちまくって、行き当たりばったりにいろんな所に行ったり、いろんな人に会うよりも、何か感じるような、気に なるような、「おっ」って思うような場所へ行ったらいいと思う。

そういう意味で言うと、NICEは何かしら「おっ」って思えるところがあるはずやから、来 てみて自分で、何かを見つけたらいいんやないかなー。見つけたものが、「良いもの」であったら、NICEであろうとなかろうと、それが「何故、良いもので あるのか」を整理していくと、暗中模索の中に何か一つ光が見えるんじゃないかなっと思います。

-ステキなお話をありがとうございました。

(2011年10月6日(木)NICEオフィスにて)

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