西岡(旧姓:福田)麻理子さんの履歴書。

2012/08/20

参加するのに遅いっていうのはない

名前
西岡(旧姓:福田)麻理子さん
性別
女性
年代
30才(インタービュー当時)
属性
食品会社を経て、今は子育て中!
参加国
ドイツ、タイ、吉野、えらぶ

-満足度90%と活動のやりがい度80%に込めたおもいは?

私がリーダーを務めた時に、当時は自分なりの100%でやっていたつもりだったけど、ちょっと引いてみると、もっとできたことがあったんじゃないかと思ったんですよね。それで振り返ってみて、100%ではないかなって思い、10%引いてみました。

共催はフリースクールを経営されているところで、生徒さんが1人しかいなくて。その時点で自分たちに何ができるんだろうとなり。。生徒さんを呼ぶために、じゃあ施設を利用できるように整備しようとか、子どもが来たときに畑を一緒にやりたいって共催団体の方が言っていたので畑の開墾をしようとやっていたんですけど、生徒さんが増える兆しもすぐにはなくって。ワークを重ねるごとに、今自分たちがやっていることがこう繋がりますっていう展望がメンバーに伝えられないし、見込みもその時点では見えなかったんですよね。それで、このワークキャンプは1年で終わっちゃったんです。開催する段階が早かったのかなって。もしくは、やることの内容がちがったほうがよかったかなって。そんな風に今は思うんですけど、この時は、うーんどうしよう、とりあえずでも、ワークはやらないとみたいな感じで焦っていました。

共催の人と夜中しゃべったこともあって、そうしたら、ご夫婦で受け入れをしてくださっていたんですけど、奥さんが泣き出してしまって、結構いろいろあり…。リーダーとしてやっている限りでは、参加した人に何か持って帰ってほしいという思いがあったんですね。でも、活動自体の意義があいまいで、ワークも色んな事にちょこちょこ取り組んだりで、何してるんだろうって気持ちになってしまったんです。もっと事前にできたこともあったし、もうちょっと早めに軌道修正をしていればよかったなっていうのがおっきくあったので、そこでさらに10%引いて、活動やりがい度は80%にしました。

-成長ダイアグラムについて教えて下さい。

4)進路っていうところでいうと、実際に色々なワークキャンプを通じて、自分がやりたいことを私は結構探してきたんですね。結果今の仕事に繋がったのでそういう意味では5かなと。

3)自分でやっていける力は、特にリーダーをさせてもらって、なんとかしなくちゃいけないって気持ちを持てたんですよね。参加者の時は、自分が楽しむことが一番になりがちだけど、(リーダーを務めると)見方が変わるんですよね。誰かが何かをやってくれるとか、リーダーが結局やってくれるとかじゃなくて、自分がやらなきゃいけない。その立場を勉強させてもらったので、これは社会に出てからも役立っていますね。

後は6)人脈かな。出会って10年経った今でもみのへい(NICE元会員)とかとしき(NICE現会員)とかちょくちょく会うし、おいおい(NICE元会員)は遠いのでたまに(笑)NICEの人は特に、なんかそれぞれがそれそれで素直に自分の道を歩いてるってのを感じていて、会社とかで出会う人とはまた違った刺激があるんですよね。会うと、あー自分もやばいな、動けてないな、今現実におぼれていたかもっていうのを毎回思い出させてくれるんです。それは自分にとってもいいことで、逆に自分もそういうふうに思ってもらえるようになりたいなって思っています。

5)社会への考えや価値観。色んなワークキャンプに参加して、海外の人もそうだけど、日本の人でも色んな立場の人がいて、それが当たり前だなと思ったんです。里山保全に行ったらそこで活動している人たちがいて、やっぱりその人たちなりの考え方とか見方があって、今までそれは自分の中にはなかった考え方だったりするので、そういう色んな立場があるっていうのはすごく勉強になりました。

1)はなんで下げたんだっけな。スキルって言われても…。何か…うーーん、これが身に着いたというはっきりしたものがなかったので、4としました。

2)人と社会とやっていく力も、まだまだ発展途上なので、5ではないなと思って、4にしました。これからもっと磨いていきたいと思っています。

-では、その後人生についてお伺いします。「ワークキャンプとその後人生」で、「バングラデシュで気づき」があったとありましたが、どのような気づきだったのですか?

バングラデシュは、(当時は)調べてもあまり材料が出てこない国でした。実際に行ってみて、色んなところに案内してもらった時に、エビの養殖所があったんですね。お話を聞いていると、そのエビは日本に出荷しているとのこと。自分では、タイとか東南アジアから来ているってのはなんとなく知っていたけれど、こんなところでも日本へ輸出するためにエビの養殖所があるってのが衝撃的で。元々、エビの養殖は塩分濃度が上がりすぎるから、ずっと同じ場所で養殖ができなくて、できなくなったら次(の土地)へみたいに使い捨てのようなことが行なわれているというのを聞いたことがあって。それはタイの事例だったんですけど。自分があまり認識がなかった国で同じような事が行われている。自分が出会って、ちょっとずつ好きになってきた国で、そんなことが行われていて、それも地域の人たちじゃなくて自分が食べるためにって思った時に、なんかそれって幸せじゃないよなって思ったんですよね。そうじゃなくするために何ができるかなって最初に思った疑問がずっと残っていて。それで他のワークキャンプにも参加したんです。ドイツは環境先進国って言われているので、ドイツでは何をやっているんだろう。タイのワークキャンプでは環境保全活動をやるっていうことだったから、何かできるかなと思って行ったりとか。色々探っていくうちに、他の国のためにすることよりも、まずは自分の国で食べ物を作って、無理に外から輸入しなくても大丈夫にするほうが先かなっと思ったの。それで農業しようと思ったんです。

就職活動の時は、まだ農業って具体的にはピンと来ていなくて、どちらかというと環境コンサルティング会社とか旅行会社でエコツアーをやっている所とか、環境にダイレクトに繋がるような会社を色々受けました。実際入社した会社は、自分のところで農場を持って有機農法でやっていて、お客様向けのツアーもやっていて、そういうのもエコツアーなのかなっと思ったんです。そういう活動がもっと色んな人に伝わって、実際にツアーへきてくれたらいいなっていうのがあって、ここに入社しました。

就職が決まった後に、食に携わる会社だから農業に関するワークをやってみようと思い、えらぶのワークキャンプに参加したんですよ。その時、農家さんってなんでこんなにもうかんないんだろうって思ったんです。私たちはお手伝いだから朝の9時から18時ごろにあがらしてもらっていたけれど、お父さんたちはご飯を食べた後また仕事に戻っていました。お花の農家さんで、菊とかを作っていたんですけど、薬とかも結構使っていて、自分自身も危険っていうか。しかも東京等の市場へ出しているから運賃がすごくかかって、花の金額によっては出荷すればするほど赤字になる時もあったりして…。一所懸命作っている人にそれに見合う対価が払われていない。おかしいなって。作っている人がそれに見合う収入が得られてなくて、しかも自分の身体を犠牲にして・・と思った時に、この構図をなんとかしたいって思った。そのためには、自分が一農家としてやるよりも、会社で農業をやったほうができることがいっぱいあるんじゃないかなっと思ったんです。実際、農業をやりたいって人はうちの会社にもいっぱいいて、会社はまだまだちっちゃいからあんまり人を採用できなくて、でもそういう人たちがもっと入れる仕組みとかサポートができれば、もっと農業をやれる人も増えていくだろうなって。だから、会社に入る目的も環境に携わりたいから、農業に携わりたいに変化したかな。就職する前ぎりぎりだけど参加して、本当に良かったです。

-それで、3年以内に農業部門への移動を目指して社内で動いていたんですね。

とりあえず、農業部門の新卒採用はなかったので、グループ会社の外食部門に入社して、異動を目指しました。FAという制度があるんですけど、一定の資格要件を満たせば希望部署への異動ができる。それでとりあえずその資格は取ろうと思い外食の仕事に就きました。外食の仕事は、お店で接客したりとか、調理したりとか、社員なのでアルバイトさんの教育やシフトの管理をしたりして、それはそれでやっているときは一所懸命で楽しかったですよ。

それから、2年半ぐらい経ったときに、上司から教育部に行かないかっていう話をもらって、まぁ、じゃ行ってみようかな、違う面から仕事をするのも良いかなっと思い、教育部に異動しました。教育の仕事は、新設された部署だったので、みんな同じタイミングで移動してきたんですよ。女性7人。みなさんは人を育てる、教育へ思い入れがある人ばっかりでした。ふと自分が120%の力を使ってやりたいのって、本当にこの仕事なんかなって思ったんですよね。ちょっと立ち止まってみた時に、どうせやるんだったら農業だって。

その時にたまたま、会社がやっている農場で研修があったんですよ。実際にうちの会社でどういう農業をやっているのかを体験して、あーやっぱりこれが自分にあってるなっと思ったので、異動願いを出しました。仕事内容は、農業部門の管理部門の仕事をしていたので、総務とか人材系のこととか経理もちょこっとやったりとか。結構色々やっていました。HPの修正とかね。

本部の仕事は3年くらいやっていたかな。やればやるほど現場をやってみたくなってきて。なんか現場のサポートをすると言っても、現場を知らないのにサポートをやりきれないなって感じるようになったんです。ちょうど組織変更などもあって、運よく現場(畑)に異動させて頂きました。1年弱くらい携わったかな。

-それだけ仕事への想いがある西岡さんですんので、辞める時は葛藤があったのではないですか。

結婚してからも続けられる仕事ではないなっていうのはここ2年くらいずっと感じていたんです。うちの会社、転勤もあるし。本社にいたら続けられたけど、旦那が農場の現場で働いている人なので、ちょっと距離がありすぎて、一緒に暮らせないなとか。まぁ仕事も好きだけど、やっぱりなんか、女性としてじゃないけど、もう30だしな。ベースはやっぱり守んないといけない、いや守りたいなっていうのはありました。このまま仕事を続けるか、家庭を一旦ベースに落ち着かせてから仕事をやるかっていうせめぎ合いがありました。農業を生涯仕事にしていこうっていうのは決めていたから。で、迷ったんですけど、今回は一旦まぁ家庭をベースに考えて、家族一緒にいるところから何ができるか考えようかなって思って、やめる事にしちゃいました。実は2日前に退職したばかりなんですよ(笑)。ほんと、つい最近ですね。結婚した限りは家庭がベースにして、のほうが、自然というか、自分も自然にできるかなって今は思っています。

-だからこれからの働き方が、「模索中」とあるんですね。

そうなんですよ。会社を辞めて有休をとっている間も、やっぱり作物を作る仕事に携わりたいなって思いは変わらなくて。むしろ強くなっていって。それで退職日に、つてがあって、近くの農業法人でやっているところに面接へいったら通って(笑)、パートなんですけどね。だから次はいちごを作ります。いちご狩りセンターなので、お客さんに来てもらう形ですね。本当はできれば有機農法でやっているところでやりたかったけど、選んでられないし、とりあえずちょっと違うけれどやってみようかなと思っています。最終的には農業をサポートできる仕事をやりたいですが、今はこれまで作る方をほとんどやってこなかったので、現場に立とうと思います。

-最後に、メッセージをお願いします。

もしNICEを知って自分の中で感じるものがあるんだったら、絶対に参加したほうがいいと思います。そして参加するのに遅いっていうのはないので。もし大学4年生で就職が決まっているっていう人でも、経験談ですけど(笑)、本当にぎりぎりでも縁あって感じる事があるんだったら、たぶん思った時が一番自分のきっかけになる時ですよ。いけば、自分が考えていたこと以外でも、得られる物がいっぱいあると思います。私も元々ワークキャンプへ行った時は、なんだろうな、あんまりその、国際問題とか、知らないというか特別興味があったわけではなかったんですね。ただ、NICEの活動に関わる中で、色んな人に出会い、自分の意識が広がったのを感じています。子どもの買春を撲滅する活動、ブレスの企画に参加してみて、そういう実情を始めて知ったんですね。それで自分も何かしたいと思って、リーダーを務めた奈良のワークキャンプでもブレスのワークショップをしました。こういう風に自分が思ってなかったことで、きっと自分が興味を持てる事が新たに見つかると思うので、ぜひ参加してほしいと思います。

あと、おススメしたいのが週末ワークキャンプですね。

バングラデシュのワークキャンプは別の団体が主催していたんですけど、関東のメンバーが中心で、日本での活動も関東だったんですね。行けないなっ、遠いなって思って。それで近くで何かできないかなって思って、見つけ出したのが週末ワークキャンプ。それが大阪府大東だったんですよ。その時に、てつさん(NICE元会員)がリーダーをやっていて、参加者にはあっこさん(NICE元会員)やあちゃこさん(NICE元会員)がいたんです。社会人の人も大学生もいて、みんな年上でした。一番年下な私にもとても親切にしてくれて、とりあえずみんな仲が良くて、週末ワークキャンプ終わった後も普通にみんなでご飯へ行ったんですね。なんかいいなーこの感じって思ったんです。そこで安心したので、あー、もし次海外へ行くんだったんなら、ここ(NICE)で行こうと思いました。最初は、NICEって大丈夫?うそくさくない?って思ったのがあったからね(笑)。実際に週末ワークキャンプに参加して、変な団体じゃないんだって思えた。もし何か不安があるんだったら、週末が一番行きやすいと思いますよ。

2011年11月17日(木)@横浜 タリーズ

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