今井彩さんの履歴書。

2012/10/12

今井彩さんの履歴書はこちらをご覧ください。

国際ワークキャンプ・3か所(中国、日本の二風谷・高根)と日本全国で開催されている週末ワークキャンプに多数参加をしている今井彩さんにお話をお聴きしました。

海外だけでなく、国内の国際ワークキャンプや週末ワークキャンプに参加をしたのはなぜですか?
ESSサークルが一緒だった友達のマコが、ネパールの国際ワークキャンプに参加をしたんです。その話を聞いて、私も参加したいと思うようになりました。浜松で週末プレワークキャンプが開催されることを知って、参加をすることにしました。そこでこれからも週末ワークキャンプを浜松で開催していく話がまとまり、その中心メンバーに私もなることに(笑)。海外も視野に入れていましたが、まずは週末を運営していく必要があったので、そこに力を割きました。このプレキャンプ参加の7名で、ナイチュウ(中部NICE)を生み出しました。それから、もともと第2外国語として学んでいた中国の国際ワークキャンプに参加をしたかったので夏に行き、秋にまだ時間があったので二風谷(にぶたに)にも続けて参加を決めました。

満足度80%、活動のやりがい度90%の数字に込めた思いは?
本当はどちらも100%にしたかったのですが、もっとやれることがあるのになと悔やまれることがあったので満足度80%、やりがい度90%としました。満足度が活動のやりがい度より10%低いのは、私がリーダーを務めた高根の国際ワークキャンプで色々大変なことが起きたからです。この時が高根で開催する国際ワークキャンプが初めてで、地元の方との調整もありましたし、自分自身も国際リーダーが初、私以外の国内外参加者もみんな初めてのワークキャンプだった事もあり、メンバーとのやりとりも四苦八苦した記憶があります。でも、その時の参加者から2代目(増田佳央里)、3代目(奥山真柄)リーダーが生まれたので、貢献できたのかなと思っています。

ワークキャンプや様々な活動を通じてついたチカラについて教えてください(成長ダイアグラム)。
1)    実務的な知識・スキル 4
ナイチュウ(中部NICE)や浜松、その他の国際ワークキャンプのリーダーを務めたのですが、みんなに持ち上げられているだけで、私自身は調整能力も英語力も本当にないんです。本当は現状維持の3なんですが、周りのみんなが頑張ってくれ、またサポートしてくれたおかげで、少しは力がついたかなと思ったので4としました。

2)    人・社会とやっていく力 4
もっとうまくできたんじゃないかって思いは残っていますが、これも人に恵まれてサポートしてもらい、何とかやってくることができたので4です。

3)自分でやっていける力 4
1か月以上、海外をプラプラ旅をしたのは中国の国際ワークキャンプが初めてでした。それが出来たので、どこでもいけるなと思えるようになりました。また自分だけじゃなく、自分が出来ないことを人に頼むことができる力、それも何かを自分でやっていくために必要な力だと思いますが、それができるようになったので4です。

4)進路・目標 5
ワークキャンプのおかげで、色々な友達ができました。また国際的な視野が広がりました。アジアが大好きになりましたし、もともと目指していた日本語教師の仕事を、国内ではなく海外でまずはやってみようと考えるようになりました。

5)社会への考えや価値観 5
ボランティア=慈善活動という感覚ではなくワークに取り組んでいましたが、さらにボランティアを堅苦しく考えず、社会で当然のこととしての活動ととらえられるようになりました。またアジアを好きになったことで、中国や韓国の友達がたくさんできました。今のご時世、中国や韓国との関係が騒がれますが、私は友達として仲良くやっていきたいという気持ちが強いんですね。そういう価値観を与えてもらったので5です。

6)その後の人生に活きた人脈 5
先ほど進路目標の項目で、海外で日本語教師として働こうと考えたと言いましたが、中国・青島市で働けることになったのも、NICEの友達(郭淑実さん)の紹介なんです。淑実が、関西からの空港バスで隣に座った人にナンパをされなかったら、私のこの進路は決まらなかったんですよ。その人は中国で日本語学校を立ち上げて日本語教師を探しているところだというんです。ちょうど知り合い(私のこと)で日本語教師になりたがっていて、しかも中国に興味関心がある子がいますよと話したら、ぜひ紹介してとなったんです。連絡先を淑実がもらってきてくれ、早速コンタクトを取り、会いに行きました。その場で中国での採用が決まったんです!
また、28歳の時に大阪の日本語学校新規設立にも関わったと履歴書に書きましたが、これもこの時の人が、日本でも日本語学校を立ち上げたいから手伝ってくれないかと声を掛けてくださいました。
そうやって、NICEで出会った友達から自分の仕事に繋がったという意味で5ですし、また今も平日遊んだり、仲良くしている友達のほとんどは、NICEで知り合った人達なんですね。自分の人生に与えた影響はとても大きいので、5です。

そもそも日本語教師になろうと思ったのは?
中学3年生の時に、ニュースステーションで海外協力隊の日本語教師として働く人の特集が組まれていました。それまでは国語教師になりたかったのですが、あ、これおもしろいなと思って、日本語が勉強できる大学へ進むことにしました。

そんな夢の日本語教師になってから、31歳の時にOLへ転身し、がらっと生活を変えていますね。何かきっかけがあったのですか?
30歳で日本語教師を辞めた理由は、残念ながらハードワーク過ぎて、過労で倒れてしまったんです。中国・青島市で働いているときは、朝7時から夜21時まで働き、週40コマの授業をこなしていました。日本の大学に入ってからも同じように忙しくて、極めつけは、大阪で日本語学校を立ち上げた時ですね。校長は基本的には中国にいるので、生徒のビザから授業料の徴収までする事務局長の役割もし、教師として日本語も教え、また校長が不在のために校長の役割まで担いました。気づいたら、過労で倒れてしまったんです。もう身体が動かないということで、大阪の学校をやめることになりました。精神的にもかなりまいっていたのもあって、普通にゆったり働けるOLになることにしました。また日本語教師に戻りたい気持ちは、今でもあるんですけどね。

そうだったんですね。今後の夢や展望は?
夢、というか展望ですかね。立ち上げからずっと14年間関わり続けている高根(岐阜県高山市)が再来年でNICEが関わって15年なんですよ。農家さんがお年を召してきましたし、15年間活動に地元からサポートしてくださっている支所の伏見さんももうすぐ定年を迎えます。また、支所の中嶋さんや農家の下田さんも最初から関わってくださっているのですが、その方々を囲める内に、今まで関わってきたボランティア全員に声をかけて、お祝いをしたいと思っています。
そして、高根は高根コーンが有名なのですが、現在はこの高根コーンの収穫祭の時にしかNICEが関われていません。地元の若手農家のひろし君と話す中で、高根コーンの植え付けから収穫、そして片づけまで、一連の作業を経験できる週末ワークキャンプを毎月開催したいという話が出来てきています。その週末ワークキャンプ実現に向けても動いていきたいです。毎年リピーターで定員が埋まってしまう高根週末ワークキャンプですが、収穫祭以外のキャンプもあれば、もっと多くの人にも高根の良さを知ってもらうキッカケにもなりますしね。
あと、久しぶりに浜松週末ワークキャンプに参加しようと思っています。協賛団体のサンクチュアリとは個人的な繋がりはあるんですが、ナイチュウ創設メンバーのヒロキやヤンやミユキやマコと集まりたいよねって話てるんです。それも小さいですが、夢のひとつかな。

最後にメッセージをお願いします。
海外に興味があったり、国内でも活動に取り組んでみたいと思ったり、何かしらに興味があるのであれば、一度ワークキャンプに参加してみるといいと思います。いい友達が見つかるきっかけになったり、自分の進みたい道が見えたり、考え方が変わるきっかけになったりと、何かしら自分に影響を与えるきっかけが見つかると思います。ぜひ一歩踏み出して、若いうちに参加をしたらすごくいいと思いますよ。

今井彩さん
2012年10月4日(木)21:00-@スカイプ