島津智之さんの履歴書。

2012/11/26

島津智之さんの履歴書はこちらをご覧ください。

九州の国際ワークキャンプ立ち上げや九州NICEの理事も務め、現在は小児科医とNPO理事(笑顔あふれる地域社会を創りだすために、地域の人々と共に、医療・福祉・教育等の諸問題について、問題点の解決のために必要な事業を考え、行動に移していくNPO)として活躍する島津智之さんにお話を伺いました。

NICEとの出会いを教えてください。
5歳年上の高校の先輩が教えてくれました。テニス部が一緒でOB/OG会で出会ったんだと思います。先輩の話を聞いて面白そうと思い、96-97年に水俣の国際ワークキャンプに参加しました。今の杷木のワークキャンプを受け入れている柳田さんが清和村で子どもキャンプを運営していたのですが、そこで初めてキャンプリーダーを務めました。その頃に九州NICEを立ち上げ、波野村や宮崎県綾町、星野村の立ち上げに関わらせていただきました。僕は熊本にいて、福岡の西南で頑張っている子たちがいて、北九州に敦(現NICE会員、原水敦さん)がいて、定期的に集まって九州NICEを盛り上げていました。その頃に、えいじ(現NICE事務局長、上田英司)が大学1年生で入ってきました。

海外ではなく、国内の活動に力を注いできたのはなぜ?
お金もなかったことですし、とりあえず身近なところで参加してみようと思いました。身近でこんな経験ができるのであれば、海外にわざわざ行く必要はないと考えました。海外は一人旅行をしていました。

国際ワークキャンプの満足度95%と活動のやりがい度80%の数字に込めた思いは?
学生時代の経験としての満足度は、ほぼ100%です。なんで95%にしたのか忘れてしまいました。満足度としては特に不満はありません。ただやりがいに関しては、どうしても国際ワークキャンプの特質上、短期間で単発で終わってしまうんですね。地域に継続的に密着している活動ではなかったんです。だからやりがい度は80%としました。

ただそこでの経験があったので、僕は地域に密着した形で継続的に何かをしてくNPOを自分で作ろうを思いました。NICEでいうとワークキャンプを受け入れる側の組織ですね。

今の医療・福祉・教育等の諸問題に取り組むNPOはいつ立ち上げたのですか?
大学卒業前ギリギリに立ち上げたので、2000年ですね。NICEで教えてもらったのは、色んな視点から色んな人が関わると新しいアイディアが出て、何か問題があった時の突破口になるということです。大学生同士も社会人もそうですが、異業種のネットワークとそこから何か新しいものを創りだしていける組織をつくりたいと思い立ち上げました。最初は特に、テーマを絞ってはいませんでした。例えば医療や教育、環境、国際問題等、テーマを絞った組織を見てきましたが、どうしても閉塞感があって、活動に広がりが見えません。何か課題があった時に、新しいアイディアが次々に出るような組織にするため、最初は異業種交流会をメインに活動してきました。ただ僕が小児科医であるので、社会人3年目くらいになって、医療や教育の現場の問題が見えてきました。スタッフにも医療系・福祉系・教育系の人が多かったので、テーマがだんだん絞られてきました。ただ閉塞感を作ってはいけないので、様々な人が関われる仕組み作りは継続しています。

そもそも島津さんが、医療の道へ進もうと思ったのはなぜですか?
もともとは学校の先生になりたかったんです。ただ僕が小学生の時に、母親とおじいちゃん2人が続けてがんで亡くなったこともあって、病気のことに興味は持っていました。子どもが好きとか嫌いとかではなく、困っている子どもたちのサポートができる仕事がないかと考えて、最初は学校の先生しか思い浮かばなかったのですが、その後小児科医になることが浮かんだんです。何がなんでも医師になりたいから医学部に進んだというより、困っている子どもたちのサポートができる仕事は、小児科医だなと思い、小児科医になるために医学部に進みました。

実際に小児科医になられていかがですか?
大変は大変ですけど、楽しいですよ。困っている子ども達や家族がこれだけいると仕事が尽きることがないです。問題に関われば関わるほど、医療の枠を超えた問題が見えてきます。その中には社会問題であることもしばしばです。子どもたちが心を病んで学校へいけなくなるのは、その子どもや家族だけの問題だけではなく、社会に何かしら問題があるんですね。そういうのを少しでも減らしていく予防的な取り組みも必要ですし、そういう状況にある子どもたちや家族を早く見つけて関わっていくというサポートも必要です。そんな時に、僕がやっているNPO的なアプローチが必要になるわけです。もちろんとても重い病気を抱えたら、お薬や病院との関わりが必要になってきます。色々な角度からのアプローチが必要で、そういう時に小児科医とNPOの活動の二つが生きてきます。

小児科医とNPOの仕事を両立するのは大変ではないですか?
僕の場合は、仕事とか仕事じゃないとかという二足の草鞋というよりは、困っている子どもたちをサポートするという僕の人生の一つの目的の中では一緒なんですよね。小児科医としてのアプローチと、NPOとしてのアプローチと二つのアプローチでやっているので、僕の中では違和感が全くありません。これが仕事は仕事で、空いた時間に何か違うことに取り組むと、その意味を見つけ出すのが難しいですよね。そういう意味では、空いた時間だったり、自分の時間の一部を使ってやることが、自分のやりたいことの中の一部になっていれば続けられると思います。全く違うことをやることは難しいと思います。気持ち的にも時間的にも。

今後の夢や展望は?
自分が関わっている身近な地域で、困っている子どもたちや家族が一人でも減ってくれればいいなと思います。そのために今の仕事も活動も続けます。逆に自分が住んでいる地域以外にも、国内外問わす、困っている子ども達がたくさんいます。自分が全てをやることは無理なので、自分は自分の地域をきちんと変えていきます。他の地域に関しては、アプローチしている人達を金銭面でも人材面でもサポートできることはしていきたいです。色んな子どもたちが少しずつ救われる取り組みは応援していきたいですね。

成長ダイアグラムについて補足をお願いします。
1)実務的な知識・スキル 2、2)人社会とやっていく力 4、3)自分でやっていける力 4、4)進路・目標 3、5)社会への考えや価値観 3、6)その後の人生に生きた人脈 4

NICEで出会った人たちと関係性を創っていく中で、色んな人や世代を超えた人と出会わせてもらったので、そういうところは役にたっていると思います。キャンプリーダーも含めて、色んな仕事を任せてもらうことで、成長させてもらったかなと思います。キャンリーダーや九州の理事とかもさせてもらったんですが、自分にできるかなと思っていたんです。実際にやってみたらできることを教えてもらいました。自分が持っている力以上のものを求められて、最初はきつかったですが、結果的にそれを通じてついた力があります。自分の自信にもつながりました。

今後のNICEに期待することを教えてください。
今のNICEの中身がはっきりとはわかりませんが、僕が深く関わっていたころは、色んなきっかけづくりを提供する役割をNICEは担っていたと思います。学生中心が運営している団体は、「人が入れ替わる」という問題を抱えるので活動の質がなかなか上がりませんよね。NICEも本体で働いている職員にはそこまで動きはないと思いますが、実際現場に入って地域を動かしていくキャンプリーダーやチームリーダーは学生が中心なので、人が入れ替わるという課題を抱えていると思います。

僕が運営しているNPOは、社会人がメインで動かし、学生はサポートの位置づけです。社会人が動かしているので、入れ替わりはほとんどありません。ただずっと同じ人が関わり続けると組織が閉塞的になっていくので、いつでも新しい人、学生や若い人が関わることができる仕組み作りをしています。NICEは、この新しい人(風)を地域や団体におくるという役割は十分果たしていると思います。これからも様々な人のきっかけ作り、若い人を育てることに力を注いでくのであれば、今のやり方を継続していけばよいと思います。

ただ、それ以上に地域の課題に継続的にアプローチするのであれば、やはり同じ人が長くしっかり関われる仕組みを作らないと難しいと思います。学生やボランティアの力に頼るのでは、その人のモチベーションが下がったり、その人がいなくなったりしただけで、活動が終わってしまいます。人に左右されない活動を展開してくのであれば、東京事務局がもう少しお膳立てをしてあげる必要がありますし、最低限の生活を保障してあげる仕組みを作る必要があると思いますよ。地方事務局を作り始めているとのことですので、地方で組織を作って食べていくというノウハウを共有していきたいですね。

最後にメッセージをお願いします。
学生さんにとって、色んな経験を得る場、社会とのつながりを得る場としてNICEはすごくいい場所なので活用してもらえたらと思います。その中で見えてきた興味のあることや問題点をNICEの中でやるものいいですが、NICE以外の団体や自分で団体を作って、関わる続けることが大切だと思います。NICEは、問題意識を持つ場としてはすごくいいので関わってほしいと思います。

島津智之さん
2012年11月10日(土)11:00-@新宿