奥村広哉さんの履歴書。

2012/12/03

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自分が成長し続けたい。
奥村広哉さんの履歴書。

名前
奥村広哉さん
性別
男性
年代
27才(インタービュー当時)
属性
教育関係
参加国
タンザニア

NICEとの出会いは?

会社の同期の子がNICEを通じてワークキャンプに参加をしていて、内定式で話しを聞いて面白そうと思い参加を決めました。参加したのは大学4年生の時ですね。

タンザニアの国際ワークキャンプに参加をされ、満足度100%、活動のやりがい度100%の数字をつけていただきました。この数字に込めた思いは?

非常にインパクトのある経験で、大満足です。やりがいもあって100%は間違いないです。何がこう一番満足しているか、やりがいがあったかというと、アフリカへ行き、日本人が誰もいない環境に身を置き、活動ができたことですね。自分は海外で生まれ、海外で育ってきましたが、周りには家族や友達がいつもいました。アフリカへ行く前に1人でインドのマザーテレサの孤児院でボランティアをしましたが、そこにもたくさんの日本人がいました。日本人が一人でもいると頼る気持ちがでてきて、どうしても楽ができてしまいますよね。でもタンザニアでは、日本人は自分しかいなく、日本の裏側の島に住んでいる村の人は初めて日本人を見るという人もいました。世界10カ国からボランティアが集まり、文化や環境や考え方の違いを乗り越えて一緒に活動していくということが、チャレンジングで難しいこともありましたが、だからこそやりがいがあり、だからこそ帰国する時に満足感も寂しい気持ちも持つことができました。色んなことを学び、感じたワークキャンプだったので、参加して本当によかったです。

そんな国際ワークキャンプでついた力について教えてください(成長ダイアグラム)。

1) 実務的な知識・スキル 3
 スキルという面でいうと、英語があります。英語は全くできません、話そうとする姿勢を持っていませんというわけではなかったのですが、周りには常に頼ることができる人がいたので、どうしても頼ってしまう自分がいました。タンザニアでは日本人が一人だったので、朝起きてから寝るまで100%英語という環境でした。最初は厳しかったですが、だんだん慣れてきて、リスニングもスピーキングもレベルが向上したなという実感はあります。今ではすっかりすたれてしまった部分もありますが、海外へ行けば、ある程度話すことができるようになったのは、そこでの経験があったからではないかと思います。知識の面でいうと、今に活きているわけではないですが、当時は日本に関する知識がぐっと増えました。毎晩、カルチュラルナイトがあったのですが、そこで日本文化・政治・宗教を、日本代表として発表する必要がありました。そのナイトのために、事前に勉強をし知識を蓄えましたね。

2) 人・社会とやっていく力 5
 違いを乗り越えるというと大げさかもしれませんが、自分の中で違いを認めたり、尊重したりして、お互いに歩み寄っていくという経験をできたのはよかったですね。世の中色んな人がいますが、やっぱり人間ですし、根本のところは変わりませんから、何とでも自分の気持ち次第で色んな人や環境と付き合っていけることを学びました。違いを乗り越えられた時、自分の自信にもなりましたね。

 ワークキャンプは特に、参加者の国籍も育ってきた環境も全然違う人が集まります。日本人だとある程度共通のものがあるけれど、阿吽の呼吸というのか、プロセスの取り組み方も考え方も全く違います。ワークキャンプのメンバーの中には、騒音がうるさいからと自分勝手な理由で帰ってしまった人もいます。日本人だったらはるばるタンザニアまで来て、途中で帰ることとか、輪を乱すことってしないじゃないですか。そういう小さな違いが、ワークキャンプには詰まっていました。

3) 自分でやっていける力 5
 海外に住んでいるときも、コモンビートでキャストやスタッフとして関わっている時も、どこかで誰かを頼っている自分がいました。弱いから頼るというより、その人に頼ったほうが成果があがると考えたからだと思います。タンザニアでは初めて、頼れるのは自分だけでした。大変でしたが、そこで落ちても意味がありませんし、どうやって上がっていくのかが大切だと考えました。例えば英語でみんなが議論している内容がわからなくても、後から優しいメンバーにゆっくり話してもらってキャッチアップしたり、分からないなりに自分も積極的に発言したりする勇気を持つことができました。頼れる人がいない環境に身を置くことができたのは、本当によい経験だったと思います。

4) 進路・目標 3
 ワークキャンプに参加をして、自分の将来やりたいことが劇的に変わったわけではないです。元々海外に興味があり、海外で働くことに興味があったので、海外で働ける可能性がある今の会社に魅力を感じました。また自分の中では「教育」がテーマで、それに携われる仕事なのも今の会社を選んだ理由です。タンザニアで生活をした村は、裕福ではなかったので、教育をもっと世界に広げていきたいという気持ちは高まりましたが、まずは日本の教育をという気持ちがあるので、今は日本で仕事を続けています。

5) 社会への考えや価値観 4
環境が違う、国が違う、言語が違う、文化が違うなど、色々な違いがありますが、その違いを乗り越えて友達になれることを学びました。タンザニア人が5人ほどメンバーにいたのですが、その一人がマサイ族でした。テレビでジャンプしているマサイ族の人が、一緒に生活や活動をしているんですよ?びっくりじゃないですか。育ってきた環境が全く違うのに、一緒にサッカーをしただけでぐっと距離が近づきました。違いはあるけれど、共通の喜びや楽しみを感じることができて、同じなんだなと実感しました。もっと内省しないとどれくらい影響したかはわかりませんが、確実に自分の価値観に影響を与えた経験だと思います。

6) その後の人生に活きた人脈 2
 ワークキャンプから帰ってきて参加者とのやりとりは多少ありましたが、すぐなくなってしまいました。ケニアに留学しに来ていた韓国の子が参加者にいたのですが、彼女が韓国に帰国した時に、たまたま僕が旅行で訪れたので、一緒に遊んだくらいですね。そこまで今に活きているつながりはないので、2としました。

「教育」をテーマに、今のお仕事(㈱日本公文教育研究会)やコモンビートの活動に取り組んでいるとお聴きました。今思い描いている成し遂げたいことは?

例えば会社を作りたい、NPOを作りたいという、明確に将来これになりたい、これをやりたいというのは今はまだ描けていません。自分が軸にしているのは、自分が成長することです。その成長というのを、次の自分の成長に投資するのはもちろんなのですが、自分の成長を他人の成長・変化というところに投資して還元していきたいと考えています。そもそも教育を仕事にしているのは、人の変化や成長を作っていく仕事ですし、もっと大きく考えれば、そういう変化や成長は世の中をよくしていくことに繋がると思っているからです。

コモンビートも4年間携わってきて思うことは、最初は参加者として、自分のチャレンジ=自分の成長のために取り組んでいました。大人が本気で泣いて、仲間と一緒に感動して達成感を味わえる経験ができるから、キャストやスタッフとして関わってきたんですね。でも5年目の次は、プロデューサーに挑戦します。プロデューサーは場づくりをする人です。現場で汗を流すことが好きな自分が、苦手なプロデューサー職に就いたのは、もっと自分が成長したいということもありますが、場を創ることでそこで成長していく人のサポートをしたいという気持ちが強くなったからです。自分の成長欲求を何に使うのかと考えた時に、自分のためだけではなく、人のため、世のために使っていきたいんですね。その手段が、今の仕事なのか、コモンビートの活動なのか、何か新しいことをやる事なのかはわからないですが、自分の軸を大切にしながら、人の成長に携わっていきたいですね。

最後にメッセージをお願いします。

ワークキャンプに参加をしたのも、シンプルに考えたら手段でした。チャレンジするための手段。このチャレンジすることがとても大切だと思います。それがNPOに参加することなのか、資格試験を受けることなのか、それは人によって違うと思いますが、一つの場所に滞留しないでほしいと思います。チャレンジすることは、苦労もありますが、その分リターンが大きいと思いますよ。

僕自身、学生時代の3年間は暗黒の時代でした。第一希望の大学に落ち、惰性で大学に入ってしまったため、すべてを斜めに見ていたんです。自分が好きではない場所にいる人たちも好きになれなくて、友達も全然できませんでした。まさに、滞留していたんですね。そんな自分が嫌で、4年生になりインドのボランティアへ出かけました。そこからもっとチャレンジしたいという気持ちが湧き、NICEを通じてアフリカへ飛び込みました。他の人から見れば小さなチャレンジかもしれませんが、自分の中では大きなチャレンジでした。そのチャレンジを乗り越えたことで自信がつきました。

何かにチャレンジしている時って、エネルギーが溢れ、前に向いているじゃないですか?そういう人が増えれば、周りに回ってより良い社会やより良い日本に繋がっていくと思うんです。そういう意味だと、ワークキャンプはすごくよいチャレンジの場だと思います。特に一人で、日本人が誰もいないプロジェクトに参加をしてほしいと思います。そうすると、リターンはものすごく大きいと思いますよ。

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