Change?!
【ケニア海外ボランティア】

名前
近藤沙織さん
性別
女性
年代
30代
属性
社会人
参加国
ケニア
プログラム名
Ahero 2 /海外国際ワークキャンプ
期間
4/30~5/06
内容
-

やっと会えた出迎えの人は、「ごめん今日寝坊して!わっはっはー」。

ケニアはどんな国だろうか。「アフリカ」とは? 学生の時からずっと行きたいと思っていた地に、社会人7年目にして初めて訪れた。

そもそも出発前、ケニアに行く事を家族や友人に話した時の第一声は、アフリカ?大丈夫なの?!であった。いわゆるアフリカの印象というのは貧困と大自然、ナイロビでは強盗、殺人が多発、といったところだ。世界一安全だと言われる日本では、ケニアがどんな国なのかという正確な情報は入ってこない。せいぜいテレビや新聞で得る情報くらいだ。そこから、「アフリカ」は貧困がひどく、情報が遅れていて、危ない国であるというレッテルが貼られるのだろう。 自分もその一人だったと思う。しかし実際、テレビ・新聞、ガイドブック等で得たケニアの知識とは全く違っていた。

ケニアの人はあったかい。現地での第一印象だ。初日にナイロビの空港で出迎えの人に会えず、携帯も公衆電話もなく困っていた時、ある人は自分の携帯ごと貸してくれた。やっと会えた出迎えの人は、「ごめん今日寝坊して!わっはっはー」。

彼らは普段、牛の糞でできた家に住み、ぐちゃぐちゃの道を歩き、雨水で水浴びをし、素朴な食事を取る、といった生活をする。

これは彼らにとって普通の生活であって「貧困」ではないのだ。

そんな彼らは、ちょうど日本で起きた地震の被災地の事を心配してくれていた。住む家、食べる物はあるのか、と。私が参加した時期はちょうど東日本大震災後2ヵ月だった。ケニアにいる間どこに行っても、地震の被害の話になった。大丈夫だったか?今どんな状況だ?放射能は?その時期、彼らの関心は被害を受けた日本に向いていた。

意外にもニュースや世界情勢に敏感である事に気がついた。一度食事の席で、現地ボランティアの人が、ケニアの政治・アメリカの政治について話し始め、熱く語った。日本人ボランティアの人たちは圧倒され、ずっと聞いているだけだった。ケニアの人たちは自国の政治に興味を持ち、ニュースに敏感で、日本、アメリカで何が起こっているかに目を向け、自分が大統領になって国を変えると意気込む。

一方で、もちろん発展途上である面はまだまだあると感じる部分もあった。地元の人と話した会話の中で、「more people, more powerful」という話が出てきた。「人口が多いほど強国が作られる」といった考えを彼らは持つ。欧米からサブサハラに提示される、「出産数を減らし近代化を目指す家族化計画」というのは、彼らにとって脅威であり、アフリカ(サブサハラ)を支配しようとしていると考えているのだ。アフリカには色々な神話や逸話があるが、こういった誤解は、国の発展を妨げる要因でもあると感じた。

今回ケニアに行く前、何人かの人に「ボランティアするならわざわざアフリカじゃなく、東北の被災地に行きなよ」と言われた。それぞれできる人ができる事をすれば良いと思う。 私が今回「わざわざ」ケニアまで行ってワークキャンプに参加して良かった事の一つは、地元の人たちのコミュニティーの中で、一緒に住み、働き、生活できた事である。朝からコミュニティー所有の畑を耕し、そこに住む孤児たちのお昼ご飯をつくり、空いた時間は子どもたちと遊び、現地の食事をし、固いレンガの床で睡眠をとる。それにより現地の生活を感じ取り、知ることができた。

私たちが「貧困」だと考える生活を、当たり前のように暮らし、世界情勢に関心を持ちながら自国の文化、考え方を重んじるケニアの人たち。

今回のワークキャンプは、そんな彼らに対し、私たちができる事というのは何であろうかという問題提起をする。変えなければいけないのは彼らの生活なのではなく、私たち自身なのであろう...

(余談)

日本に帰国してからしばらく2週間ほどは、東京の街を歩いていると違和感を感じた。東京の人たちのスピード、電車の時間の正確さ、人ごみ。逆カルチャーショックだろうか。慣れるのにしばらくかかった。

もちろん逆に日本の良いところの発見もいっぱいした。日本食をはじめ、日本人の優しさ、律義さ、懸命さ。今度は日本の良さも発信できたらと思う。

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