I.K.さんの履歴書。

2012/10/12

I.K.さんの履歴書はこちらをご覧ください。

リトアニア、トーゴの国際ワークキャンプ、ケニアの中長期ボランティア、岩手県陸前高田市の復興特別ワークキャンプ、そして各地域の週末ワークキャンプに参加されているI.K.さんにお話をお伺いしました。

満足度90%、活動のやりがい度90%の数字に込めた思いは?
昔のことって、「ああ大変だったけどいい経験だったなあ」ってことが大体になっているんじゃないかしら。帰って来たばかりのときは愚痴がいっぱいだったのも覚えています。おそらく満足度もやりがい度も、30%以下でしょうか。当時は辛かったり大変だったことが結局今の自分のいい経験になっている訳で、今になってみて、ぐるっとまとめて90%の満足、やりがいと言えると思います。そう思えるのが人によっていつなのかはわかりませんが、ワークキャンプには後々に活きてくる経験が詰まっていると思います。たくさんの驚きや発見や喜びがあって、その中に不満も辛さもいろんな割合であって、その度にたくさん考えてどうにか行動しないと生きて行けない時間を過ごすうちに、全てを前向きに生かして前へ進むっていうことを、ワークキャンプの中でと、その後の人生で続けていっている気がします。そういう意味で、今では満足度もやりがい度も100%です。ただ実際の活動の満足度、やりがいも100%ではなかったわけで、改善の余地はあるという意味で90%としました。

ワークキャンプでついたチカラについて教えてください(成長ダイアグラムについて)。
1)実務的な知識・スキルと6)その後の人生に活きた人脈は、4を付けていますね。

ボランティアの活動も期待される成果も、プロフェッショナルなものではなかったです。仕事をし始めてから得た知識・スキルと比べると、今の自分に直接繋がるものと現時点では違うので、他の2~5の項目に比べると相対的に低かったので4をつけました。

人脈については、人間関係としてはとても大切な友人が得られたと思いますが、「人脈」という意味合いとは違う気がします。もうちょっと自分が見えて来てから出会った人脈に比べて、NICEやワークキャンプで出会った人々は付き合いがちょっと違う形で今存在しています。でも、これから「人脈」として活きてくるかもしれませんが、それはまだわからないので、この項目についても4をつけました。

2)人・社会とやっていく力
世の中にこれだけ色々な人がいるんだってことを、日本にいただけでは実感できなかったと思います。自分にとって当たり前の普通のことがそうでなかったり、自分の思い通りにいかないってことだったりを、若い時に知る事ができてすごいよかったです。会社でももちろん様々な人との関わりはありますが、それよりももっと広がりがありました。色々な人を受け入れる力、そして自分を受け入れる力は、NICEの活動を通じて培ったと思います。

3)自分でやっていける力
NICEは、「なんでも自分のやりたいことをやったらいい。NICEの活動や理念とマッチしたらサポートするけれど、必ずしもすべてをサポートするわけではない」というスタンスですよね。色んな経験をしました、で終わらせるか、それらの活動を次につなげられるかをNICEは本当に幅広く実践することが出来る場所です。私もアフリカチームや広報部と協力して会報誌を作るプレスチーム等に携わらせていただきました。それらの活動の過程で、自分で考えて物事を動かしていく力は培われたと思います。

2と3の項目に関しては、NICEだからこそ、育めたものだったと思います。

4)進路・目標
「ワークキャンプとその後の人生」にも書きましたが、「いろんな人に出会い、文化に出会う中で、自分自身を知っていくことができた」と思います。特にケニアでは、自分の中でぶれないものができました。

ぶれないものとは?
生きていくうえで、ケニアでの生活が物事を考える時の自分の基準になっているということです。アフリカの経験はかなり強烈で、それまでの価値観が大きく揺らぎました。日本の生活・価値観に違和感があって旅立った訳だから、あり得ることなのだけれど。。
初アフリカのトーゴではその違和感を消化しきれず、どう生きたらいいか、大学4年だったこともあり迷いました。その後ケニアでもっとじっくり生活をして、ああこう生きていたいっていうしっくり感がありました。日本とケニアの生活のギャップをどう捉えて日本で生きて行ったらいいか、最初は多少おかしな振る舞いをしていた様な気もしますが、「ケニアの生活と同じ価値観で生きて行きたい」と思ったわけです。
例えば食欲と物欲。ケニアで私がいた盲学校は寄宿制で生徒と教員、職員のほとんどが敷地内で暮らし、生徒達は食堂で毎食をとっていました。私は個室で独立した生活をしてはいましたが、同じ敷地内で非常に近い距離で生徒とも教職員とも生活する中で、良く様々な家で一緒に食事をしたり時々生徒達とも食堂で一緒に食べていました。近くで取れた食材をそのまま市場で買い、肉は牛一頭が吊るされてそこから部位を指定して買ったり、庭を駆け回るヤギやウサギや鶏を捌いたりして手に入れます。週に1度肉を食べるか食べないか、というペースでした。そのまま日本にこの生活を持ち込むことは東京に暮らす私にとって不可能でしたが、帰国してすぐは東京へ帰ってからの暮らしが不自然で人口的で不気味でした。食材も電気も、世界中が、ケニア基準で生活したら、世界の食料問題もエネルギー問題もきっと無いんじゃないだろうか、なんでこんな浪費生活をしているんだろうと当初は気味が悪かったのを覚えています。そして、その感覚を忘れたくないと思っています。
今お肉はほとんど食べませんが、少し肉を食べるのも食材の命の基に触れて生活し、お肉・食材が残って廃棄されるのなら私ができるだけ無駄にしないよう食べたいし、また、お客さんへのもてなしに貴重な家の鶏を惜し気も無く振る舞ってくれるケニア人に、例えばベジタリアンが長いと肉を食べるのが体質的に辛くなるので、それを断らざるを得ないというのも違うなーと思い、もったいないベジタリアン的なゆるい基準を自分の中に持ち始めました。
また、私は人がいうには物欲が強い方なのですが、それを心おきなく肯定できるようになったのもトーゴ、ケニアです。ケニアで出会った女性は、食べるものが質素でも着る服にはとても気を遣っていて、おしゃれを楽しむためのツケというか分割払いもしていました。ケニアの独特な布を仕立て屋さんに持って行って自分の服を仕立てたり、2週間に1回髪を編みに行ったり。本当に自分の好きなものは、買ったり楽しんだりして良いんだとも思えました。楽しいこと、美しいものを贅沢というより自分自身にすごく大切なものとして受け入れることができました。

それは5)社会への考えや価値観にもつながる話ですね。


Iさんの人生についてもう少しおきかせください。大学でデザインを選ぶということは、自分は将来的にはデザインに関わりたいという思いがないと選ばないと思うのですが、なぜデザインの道へ進もうと考えたのですか?
工芸工業デザインを学んだのですが、自分が絵を描いて満足というより、自分の作ったものを人に喜んでもらいたくてデザインを選びました。小さい頃から絵やものづくりは好きでしたが、家系が工芸やデザイン、建築に携わる人ばかりだったので、このままレールに乗る様に美術の道に進むのもなあと反抗期だったのか思った頃もありましたが、やっぱりやりたいことをまずやろうと考えたときにこの道に進むことにしました。またちょうど家を立て替える時に、建築家である父が家の設計をしました。その設計に合わせて、家じゅうの家具を買うため、たくさんの良いものを見る機会がありました。その影響もあると思います。でも大学の学芸員実習で出会った他学科の教授の活動に途中ではまり、大学生活後半は美術館教育みたいなものも同じくらい学んだ様に思います。「年齢、性別、国籍、障害の有無を越える文化の担い手に」という思想を持っている方で、様々な美術館や地域のアートワークショップを開催しました。工業デザインの方は、ものの溢れた日本でこれ以上ものを作る必要が無いんじゃないか、と常に悩んでいましたが、その環境なり用途なり対象者に対して必要なものを形にする、デザインする上で、「作らない」こともデザインじゃないかということを教わったり、その教授との出会いが私とNICEとの不思議な縁をただの国際ワークキャンプ参加で終わらせないきっかけになったと思います。


美大を卒業後、2年間自由な時間をすごした後、ベンチャー企業でキャラクターグッズのデザインを始めたんですね。
在学中、そして卒業したばかりの頃は世の中を批判していましたが、ケニアでおお、これは働いて一般社会で生きてみることが私に必要だ!と思ったのでした。例えば私はケニアで情操教育のようなことをやっていて、確かに子ども達に必要なものだし良い時間を与えられたとは思うのですが、彼らは学校を出てまともな職につくことは非常に難しい訳です。学校を一歩でると街には目の見えない人が道ばたで歌って物乞いをしていたり、目の見える子どもに連れられてカフェを物乞いして歩いたりという場面を至る所で目にしました。そこで、彼ら(広い意味で、何かしらハンディキャップを持った方達)の未来にもっと彼ららしく生きられる場所を作りたいという夢みたいなものが見えてきて、そしていろいろ経て働く一歩を踏み出すことにしました。親にしてみたら贅沢な話ですが…、納得するまで考え行動させてくれたことに本当に感謝です。それで縁あってとあるベンチャー企業で働き始めました。卒業後の2年間は、とても贅沢な時間を過ごさせてもらいました。

本当は3年で辞めようと思っていたんですが、仕事がだんだん面白くなってきて、任せてもらえる部分も増えてきて、あともうちょっと…という内に何年も経ってしまいました。とはいえ3年では経験を得ただけだったのが、自分のやりたい仕事により自分自身で関わって行くことができたのでこれも良い経験なのですが。でもこれからって時に、とてもひどい上司に当たってしまいました。非常に辛かったのですが、そのためだけに辞めるのも癪なので前向きに辞めることにしました。ひどい上司でしたが、本当に私がやりたいことを思い出させてくれたので、自分の中で整理をつけて辞めることができたし、最終的には円満退社できていいきっかけをくれた様な気がします。

これからやっていきたい事とは?
私の姉が小さいころ事故をして、体に大きな傷を負いました。いわゆる普通な成長、生活とは違う人生を歩んできて、学習能力や生活力には問題ないのですが自分に自信が持ててない様に感じます。小さい頃から一緒にずっと暮らして来て、周りの目や態度と彼女をずっと見て来て、私もいろいろと感じ、考えました。直接聞く事は無いかもしれませんが、彼女が幸せと思える人生であって欲しい、私自身が少なくともそう感じられる様にお互い生きる道を歩みたい、というのが私の根本です。

えー、前置きが長くなりまして、それはとても個人的なことだけれど、彼女だけでなく何かしら人と違う部分、困難を持っている人が生き生きと働ける場所が今の社会にはとても少ないですよね。何かしら障がいを持っていても、生きている価値は絶対あると信じていますが、なかなか活かすことが出来ていないのが今の社会です。その社会を変えたいと昔は漠然と思っていましたが、今は障がいがある人が素敵な働き方ができる場所を創りたいと思っています。私は美しいものがすごく好きですし、ものづくりは今も好きなので、工房というかアートスタジオを創って、そこで何かしらの困難があって、でも力を発揮したいという人達と、人と違うことのおもしろさを私なりに社会に繋がる声にしていきたいと思っています。

現在はイギリスのキャンプヒル、Botton Villageでボランティアとして活動していらっしゃるのも、今後の参考にするためなんですね。
今いるイギリスのキャンプヒルは、学習障がいを持っている人達の村です。彼らを中心に、その生活や職場をサポートするハウスコーディネーターやワークマスター、私のような短期ボランティアがみんなで共同生活をしています。生活場所も、仕事の場所も、全部この村の中にあるんです。いわゆる学習障がいのある大人達とこうして一緒に暮らすことで日々たくさんの気付きがあります。そして強烈に個性的で刺激的です。また、ここではシュタイナーの思想がベースになっているから、芸術的な活動がとても多いんですね。運動芸術や水彩、季節毎の飾りなど、芸術的な活動を日々の生活に自然に取り入れています。ここには3月までいる予定ですが、先々アートスタジオをやりたいとして、そこできっと役に立つシュタイナーの思想と水彩や粘度などのアートセラピーをこの後ひとまず学びたいと考えています。役に立つ、というよりは学びたいから学ぶだけなのですが。

最後に、メッセージをお願いします。
本気でがんばったらやりたいことって結構何でもできるって、ここイギリスに来て感じました。周りにはこれから何かしよう、したいと思っている高校出たての若いボランティアがたくさんいて感化されているのかもしれませんが(笑)。自分のやりたいことを見つけるのは大変だけれど、動いて、自分を信じて好きな事をやって生きることは、絶対人間できると思います。私もこれからですが、自分を信じて動いていこうと思います。

I.K.さん
2012年8月1日(水)21:00-@スカイプ