掘尚子さんの履歴書。

2012/10/30

掘尚子さんの履歴書はこちらをご覧ください。

国見で国際ワークキャンプに初めて参加した翌年、同キャンプのリーダーを思いがけず(笑)打診され務め、その翌年はえらぶと島根の国際ワークキャンプのリーダー、またリーダーサポーターズなどの活動も経ている堀尚子さんにお話をお伺いしました。

海外の国際ワークキャンプではなく、国内の国際ワークキャンプを選んだのは?
プロジェクト冊子を見て、長崎で活動があることを知ったんです。私の祖父母や親せきが暮らしているのが長崎で、長崎で何かしたいなって気持ちをずっと持っていたからだと思います。中学生になってからは部活などで忙しく、なかなか長崎に帰ることができませんでした。祖父母に会いがてら、活動できるのがいいなと思って参加を決めました。

満足度95%、活動のやりがい度100%の数字に込めた思いは?
私がリーダーを務めたものに関しては、全部100%なのですが、初めて参加した国見の国際ワークキャンプは、あまりにもメンバーとの一体感がなく、残念さが残りました。活動の内容や共催団体との関係は良かったのですが、参加メンバーの中に、ぎすぎす感のようなものがあったように思います。それで、満足度に関しては-5%させていただきました。

活動のやりがい度に関しては、リーダーを務めてからぐっと増しました。最初のワークキャンプが満足のいくものでなかったぶん、たくさんの改善点がみえていました。だから自分がリーダーを務めた時は、メンバーの一体感を持つためにフォローをしましたし、共催団体や地元の方との交流も積極的に行いました。地元の人から活動に感謝されたりもしたので、やりがいはとてもあったと思います。

そんなワークキャンプでついたチカラについて教えてください(成長ダイアグラム)。
この中だと、5)社会への考えや価値観、6)その後の人生に活きた人脈が高いですかね。

5)に関しては、NICEに関わるまでは、自分と社会とのつながりを身近には感じられず、社会の課題や問題に対して自分が何かできるとは全く考えていませんでした。参加してからは、社会や人とのつながりを実感でき、自分にも何かできると思えたのが大きいですね。そのため、価値観はすごく変わったと思います。

6)に関しては、いい方々に恵まれて、今でもお付き合いをさせていただいている友人や地域の人もたくさんいます。先日長崎へ帰省した時、国見の社会福祉協議会へご挨拶にいったんですね。とても温かく迎えてくれ、NICEの資料を引っ張り出しながら、これまでの歩みをお話してくださいました。今に活きている人達と出会うことができ、私の財産になっています。

1)実務的な知識・スキルに関しては、特に身に付けるためのワークキャンプではなかったので現状維持ですね。あと、4)進路・目標は、もともと決まっていたので、そこはぶれなかったです。

2)人・社会とやっていく力、また3)自分でやっていける力は、5)にも重なりますが、色んな世代の人や背景が違う人と関わるので、その関係の中で身についたと思います。

先ほど進路目標はもともと決まっていたとおっしゃっていましたが、高校卒業後に、モラトリアム期間を2年程過ごしたんですね。
高校は、国際科に行きたいがために、ある高校に入学したのですが、そこが結構な進学校だったんです。周りは当然大学を目指す中、私はなぜか昔から手に職をつけたいという思いがあり、入学時は大学へ行くことを全く考えていませんでした。進路面談でも、先生たちに大学へ行かないってどういうこと?と心配され続けていました。ただ、3年生になるまでは、全くイメージを持てなかった大学も、友人たちと関わる中で、だんだん勉強したいことが出てきて、他の人には遅れましたが受験勉強も始めました。しかし、秋ごろ、大学で学ぶのか、専門学校で学ぶのかなど、また迷い始めてしまったんです。高いお金を出してもらって4年間学ぶことを曖昧な気持ちのままで決めたくなかったので、センター試験が終わったくらいでしょうか。親に進路をゆっくり考えたいと伝えて、モラトリアム期間がスタートしました(笑)。

モラトリアムの最初の1年で、社会福祉士になる道が見えました。昔からテレビのニュースや新聞で児童虐待の問題が報じられる度、やりきれない気持ちを抱えてはいたのですが、自分がそれに関わって何かしたい気持ちが芽生えたんです。社会福祉士をとるには、大学で勉強する必要があったので、残りの1年で勉強をして大学を受験しました。

それだけ時間をかけて決めたことだったので、やりたいことぶれることもなく、大学での勉強はとても楽しかったですね。同級生と2年遅れることに抵抗を感じる方もいらっしゃると思いますが、10代の1~2年くらいたいしたことないです。その時間があったから私は自分のやりたいことを見つけ、今もその思いをもとに仕事に取り組めています。

大学卒業と同時に、晴れて社会福祉士を取得されたんですね。卒業後の人生をおきかせ下さい。
大学でソーシャルワークについて学びながら、自分は子どもに関わる仕事、しかも相談職に就きたいと考えました。大学4年生の時に、実習で母子生活支援施設にお世話になり、その両方が実践できる職業の1つであると感じました。実習を終え、学生のままアルバイトとして働かせてもらい、正職員へのお誘いをいただき、そこで働くことを決めました。母子生活支援施設には、DV(ドメスティックバイオレンス)から逃げて来たり、離婚や未婚で生活が成り立たなくなったり、虐待の疑いがある親子などが生活をしています。

仕事内容としては、母親担当と子ども担当があって、私は小学生から高校生を担当しました。支援の計画を立てたり、行事を一緒にやったりしながら、子どもの支援に携わりました。ただこの施設では母子が一緒に生活をしているため、職員がどんなに子どもにとって正しいと思われるアドバイスや支援をしたとしても、母親自身が課題を抱えている場合が多いので、一筋縄ではいかず支援がうまく進まないことも多々ありました。もう少し人生経験を積んでから、ここに戻ってきてもいいんじゃないかと思ったのと、相談職としてのスキルをもっと磨きたいと考え、結婚を機に退職を決めました。

今はどんなお仕事を?
高齢者施設(介護老人保健施設)でソーシャルワーカーとして働いています。この施設が設立された当初の目的は、病院で入院したことで、筋力が下がったり、認知症が出たりして、直に家に帰れない人が一時的に滞在して在宅を目指す場所でした。ただ、介護保険で入所利用できる施設は、特別養護老人ホーム(終の棲家)、私の働いている介護老人保健施設、そして介護療養型医療施設の3つしかないんですね。都内だと、特別養護老人ホームに入りたい人が何百人と待機している状態なので、介護老人保健施設が特養化している現実があります。特に私が働いている施設は長めにみる方針があるので、長期間いらっしゃる方も多いです。私たちの仕事は、入所したいという相談を直接ご家族からも受けますし、地域の病院やケアマネージャーさんからも受けます。また利用者さんが施設を出る時も、外部との調整をします。施設内の仕事としては、医師・看護師・リハビリスタッフ・栄養士等、様々な職種の人が関わっているので、その調整も行っています。また利用者さんがけがや病気をした場合、近隣の病院を探したり、ご家族の対応をしたりもします。職務内容が多岐にわたり、説明がなかなか難しいのですが、他にもたくさんの役割があります。

今後の夢や展望は?
現在の仕事も4年目となり、相談職としてのスキルはかなり向上したと思っています。今すぐにではありませんが、将来的には、当初からやりたかった子どもへの相談職へシフトしていければいいなと考え始めています。例えば、スクールソーシャルワーカーってご存知ですか?子どもたちの内面に向き合っていくのがスクールカウンセラーだとしたら、スクールソーシャルワーカーは、子ども達の内面だけでなく、周囲の環境にも働きかけながら支援を行います。その子が置かれている状況を的確に把握し、どんな社会資源が必要で、家族や先生たちにどんな働きかけを行う必要があるのか、それをコーディネートしてく仕事です。話していたら本当にやりたくなってきました!が、万が一職場関係の方にみられたらまずいのでこのくらいにしておきます(笑)。

最後にメッセージをお願いします。
若いうちに様々な人と関わっていろいろな経験をして、自分がどう思うのか、感じるのか、それに対して何ができるのか、したいのかを考えてみてください。その過程が人間的な成長に繋がっていくと思います。ワークキャンプはそれらを鍛えるには大変有効な手段だと考えています(宣伝!笑)。ぜひみなさん少しでも関わりたいなと思ったら、多少無理矢理にでも時間をつくってワークキャンプに参加をしてみて下さい。参加した前と後では必ず何かが変わっているはずです。また、参加者としてだけではなく、リーダーとしてもワークキャンプに関わってほしいと思います。参加だけでは得られないものが、得られますよ。

掘尚子さん
2012年9月27日(木)@西日暮里 19:00-