型にはまらないボランティア
若い世代へと繋がる農業体験


名前
浅野洋海さん
喜久家プロジェクト
プログラム名
国際ワークキャンプ 伊方
開催年
2007年~
内容
みかんの収穫・出荷・栽培の作業
学校訪問をし、国際交流の場を提供
プロフィール
調理師学校を卒業後、大阪で料理人として腕をふるう。37歳の時に父の病気のため、生まれ育った愛媛に戻り、代々続く浅野農園の後を継ぐ。自分で得意先を探し、生産から販売、卸売りをこなす。2007年から中長期事業、2008年から国際ワークキャンプの受け入れを実施。

喜久家の始まった経緯、NICEをどのように知って受け入れを始めたか教えてください。

私の兄が大洲青少年交流の家で働いている時に、東京へ出張行ったことがありました。何かのミーティングだったそうですが、その際にNICEの代表の開澤さん、職員の沖野さんに会い、夜にお酒を飲みながらワークキャンプの話を聞いたそうです。ちょうど私の地域、伊方町の平磯では柑橘農家の後継者不足で若い子がいなくなっていて、何か対策を立てないといけないと考えていた時でした。その後、NICEの塚本さんと中長期ボランティアの話をして、『これはいい!』と思い、平磯でもやりたいなとなりました。
国内・海外から色々なボランティアが来ている。そんなボランティアはきっと我々の地域でも活躍できるし、活躍してほしい!そしてそんなボランティアとの交流はうちの子どもにとってもいいなーと思いました(笑)。消防団に行って、地域みんなにNICEの説明をし、まずはうちのところでやってみることになりました。みんな様子を見たいと思ったんでしょうね。良さそうだったら、うちもやろう的な。
結果、NICEとの窓口はうちがやって、ボランティアを受け入れたい!という柑橘農家は年々徐々に増えていきました。今では声をかければいろいろな農家さんが集まるようになりました。
ただ、ニーズは増えてきて、後継者がいるところ、若い農家さんのところは、安い労働力だったり、能力重視でみてしまうところがあったので、今は受け入れ農家を選んでいます。例えば80代のじいちゃん、ばあちゃんのところや、身体が弱っている人のところとかですね。そういったところは、柑橘運びやなど本当に大助かりです。

農業のボランティアは難しいところがあって、ボランティアがやったことが農家さんの利益になってしまうんですよね。でも年齢的なところや身体面で本当に人手を必要としているところで活動する意義はあると思います。活動を始めてもう10年くらいですか?

中長期ボランティアは12年、国際ワークキャンプは11年目になりますね。NICEをきっかけに大学生のボランティアが来たり、全国ネットのテレビに取り上げられて一般のボランティアが来たりと、これまでに1000人以上の人の交流が生まれました。私が適当だからここまで続いんただと思います。大学生がウワサを聞いて1日とか2日間とかボランティアしに来ることもあるんですけど、しっかりした団体だったら参加費とか取って運営資金を貯めたり、仕組みを創っていこうとするんでしょうけど、そういった型にはまらずにやっていこうと思っています。

今まで受け入れたボランティアで印象深い人はいますか?

リピーター多いんですよ。一番多いメンバーは7回も来ている子がいます。年に2回来たり。他にも3回、4回と来ている子もたくさんいます。まあでも、印象深いのは金吉順子さんかなー。喜久家の一番初めのボランティアです。やっぱりスタートなので一番印象深いですね。

地域の人達の反応はどうでしたか?

ある地域の人は、『金吉、何しに来たんだ?大学卒業して、無償のボランティアなんかに参加して、親が泣くぞ!何のために親は何百万円も大学に払っているんだ!』って言われ、金吉さんも半泣きに。当時はボランティアとか身近ではなかった地域だったので、やってきたボランティアに風当たりが強かったですね。ただ、中長期ボランティアならではの長期間の滞在が良かった。1ヶ月くらい地域にいると、地域の人達と普段接っするんですよ。その時に彼女がちゃんと挨拶したり、とても礼儀正しかったんです。当初風あたりが強かった人も、どんどん彼女を好きになっていきましたね~~。金吉さんの良い印象が、次のボランティアへ、次のボランティアへと継がれていきました。これまでに来てくれた人達が積み重ねきたものがあり、今に至っていると思います。喜久家を始めたのは僕だけど、ここまでやって来れたのはボランティアのみんなのおかげです

私も金吉さんを知っていますが、当時色々な場所でボランティアに参加していました。どこでも大人気でした。人柄は世界共通なんでしょうね。

彼女が去った後も、外国人ボランティアが来た時は彼女に相談していました。そして、彼女が『ひろみさんの良くも悪くも、やりたいようにやるのが良いのでは?』というアドバイスをくれたおかげで、好きなようにやって今に至っています。印象に残っているメンバーは他にも、初代ワークキャンプリーダーの高木も印象深いですね。彼の結婚式にも行きましたし。その後彼は3回くらい喜久家に来てくれました。

受け入れたボランティアで生まれた成果はどんな成果がありますか?

兄の息子が柑橘農家として戻ってきました。彼だけでなく、10代、20代、30代の若い人達が戻ってきたことは、NICEの活動のおかげかもしれません。今後はそういった若い世代にも色々役割をふっていきたいですね。同世代の方が感覚も似ているし。
私は一歩引いて、今までにできていなかったことをボランティアにしてあげたいですね。 また、まだまだボランティアの理解がされていない地域もありますので、もっとこういった活動を推進していきたいです。平磯は小さな集落だったから、温かい目で見てくれる人が多いかなとも思います。
学校訪問を通して、生徒が国際やボランティアに目覚めたり、大学行って国際関係に目を向けたり、地域のじいちゃん、ばあちゃんを助けてくれたり。良い成果はたくさんあります。次から次へとボランティアが来る。私はワークを一生懸命することは二の次です。まずは来てくれることが嬉しい。今まで来てくれた人達があるから、今回も大事にしていこうという精神があります。

最後に、今年の柑橘の出来はどうですか?

初今年は少ないですね。でも国際ボランティアのメンバー達と一緒につくった柑橘、これからがシーズンになります。ぜひご賞味ください!
浅野農園のお問い合わせは h-asano163@ezweb.ne.jp

今年は1月、2月に3ヶ月のボランティアを2名ずつ受け入れ、2月後半には国際ワークキャンプが控えている愛媛県伊方町の喜久家。どんなドラマが生まれるのか楽しみです。柑橘のシーズンでお忙しい中ありがとうございました。