野村(旧姓:芝)美穂さんの履歴書。

2012/08/20

「1対1」の関係で困っている人を支えたい。
野村(旧姓:芝)美穂さんの履歴書。

名前
野村(旧姓:芝)美穂さん
性別
女性
年代
31才(インタービュー当時)
属性
協力隊後、保健師
参加国
タイ、ケニア、日本

満足度80%、活動のやりがい度80%に込めた思いは?

得るものはすごくたくさんあって、特に日本でやった浜松の週末ワークキャンプはリーダーをやらせてもらったから高くつけたかったんだけど、ステップアップをしていきたいという思いがあって。100%を付けるとそれで完結になってしまう気がしたんです。自分の中でステップアップしていきたいという気持ちがあるので80%としました。

あと、もっと早くNICEを知って、ワークキャンプにたくさん参加していれば90%になっていたかも。私は大学3年生の時に出会ったので、参加できるものが限られていたから。

NICEとの出会いを教えてください。

履歴書の参加までの旅行経験・ボランティア経験に書いた、20歳ハワイへ短期語学留学がきっかけです。その時一緒になった人に教えてもらったんです。ハワイで語学研修をしている人達がいて、あの人たちは誰なんだろうって聞いたら、国際ワークキャンプに参加しているNICEの人だよって(実際は違う団体のことだったんだけど)。それでNICEを調べたら、海外でも国内でも活動していると書いてあって参加を決めました。

成長ダイアグラムについて教えてください。

「その後の人生に活きた人脈」を高くつけたのは、青年海外協力隊へ行きたいというのが、NICEに参加する前からの夢でした。その夢を色んな人に相談できたり、応援してもらったりできたのがよかったですね。協力隊へ行くってなった時に、親に反対されたんですね。派遣先が中東シリア。危ないっていうイメージがあったみたいで。それで、NICEで知り合った人に協力隊OBを紹介してもらったんです。その方に両親と会って話してもらったら、行っていいよってなったんです。だからNICEに助けられたなぁとも思います。

あと、英語なんかは独学で勉強しただけだったから、NICEのワークキャンプで使えたのはよかったかな。海外へ行って、そこでやっていく経験ができたのはとってもよかったです。

他の項目で4をつけたのは、NICEだけでこの力が付いたわけではないと思ったからです。学生生活も社会生活も含めて、色んな力や価値観がついていったからね。ワークキャンプに参加した直後だったら、もっと違った数字になっていたかも。

野村さんはずっと看護の道を進んでおられますが、なぜその道を進もうと思ったのですか?

青年海外協力隊へ行きたいけれど、技術を持っていないといけないですよね?看護師なら、その地域に必要とされると考えたんです。イメージというか。自分はすごく健康で、特に他にとりえもない。健康なことがとりえというか。自分も周りの人も健康になれたらいいなと思って、看護師という職を選びました。今は保健師なんだけれど、健康のサポートをするってのは変わらないから、ずっと思い描いている道を進んでいます。

夢であった協力隊へ行けるとなった時はどんな気持ちでしたか?

嬉しかったですね。やるぞっていう気持ちになりました。ただ、南米へ行きたくて、でも経験が足りないから、派遣先はどこでもいいですってしたんです。そうしたら、中東になった。もちろん必要とされているから行きたいんだけど、自分が希望している場所じゃないし。。。でもせっかくの機会だから、迷ったけれど行くことにしました。

活動を終えた後はどうでしたか?

正直、経験がなかったから何もできなかったという思いが強かったです。もしもう一回チャンスがあれば、今の職場で保健師としての経験を積んで、ベテランになってからもう一度行きたいなって思いがあります。現地(シリア)に行ってみて、現地の人と関われたこと、旅行では絶対行かない地域へ行けて、そこにある社会問題が現実のものとして感じられたのはすごくよかったです。ただそれは自分への肥やしとなったけれど、協力隊としての仕事ができたかといえば、もっとやれたことはあったなという気持ちでいます。

看護師として3年間働いても、経験が足りないと感じられたんですね。

看護師は病院の中の仕事で、保健師は地域に住んでいる人を対象としているから、仕事の進め方や対象者が違うんです。もちろん3年間で得た知識は活かせることができたけれど、足りない知識も多かったなと。もう一回チャンスがあれば行きたいと思うので、帰国後は看護師として働いたけれど、保健師へ転職しました。

今後の夢や展望は?

協力隊へ行く前は、協力隊が一つの夢でした。そのために、ワークキャンプへ参加したりしました。その夢が叶った時、感じることがありました。人と人とのかかわり、つまり一対一の関係がとても大切だということ。普段友だちや家族と接するようにね。だからこれからはまずは身の回りの人を幸せにしたいな。

協力隊で派遣された場所は、シリアの中でも最貧困地域。そことね、今の日本の田舎がすごくかぶったんだよね。仕事を求めて都会へ行くしかない若者と田舎に残るしかない老人。シリアも私の実家も同じだって。だったら私は日本で生まれ育ったから、日本に恩返しがしたいなという思いが生まれました。それで地元(岐阜)に帰ってきたんです。

今は保健師として地域で働いていますが、地域に住む外国人のサポートにも取り組んでいきたいと思っています。私がシリアにいた時助けてもらったように、言葉の壁に苦しんでいる人達と一対一の関係を築いて、サポートできたらいいなと思います。

最後に、これから参加を考えている人はメッセージをお願いします。

頑張って!(笑)

履歴書に書いたことが全てです。あやふやでも、自信がなくても、とにかく声に出すこと。これが夢の実現の近道ですよ。

2012年2月21日(火)@電話

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