国内・海外ボランティア活動を行う
国際ボランティアNGO NICE(ナイス)は
1990年の設立。国内・海外約90か国で
ワークキャンプ等の各種事業を行います。
●ガザでの即時停戦を呼びかけます。
●ウクライナと世界の平和を強く求める、緊急声明とアクション
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栗本泰佑さんの履歴書。
2012/08/20
ワークキャンプが人生の転機に。
栗本泰佑さんの履歴書。
- 名前
- 栗本泰佑さん
- 性別
- 男性
- 年代
- 33才(インタービュー当時)
- 属性
- 建設業界のコンサル
- 参加国
- タイ、ネパール、アメリカ、フィジー、日本

満足度と活動のやりがい度の数字に込めた思いは?

特に大きな理由はありません。あえて言うなら、満足度をひとつだけ80%にしたのは、ボランティアというより労働者として働いていた感があったからでしょうか。共催団体とNICEとの間に、認識のずれがあったのかもしれませんね。それも含め、色々楽しかったことも、しんどかったことも、全部がいい経験だったなと思っているのでこの数字を付けました。
そもそもNICEを知ったきっかけは?
大学時代はテニスに没頭していたのですが、テニス仲間の一人にNICEってのがあるよーと教えてもらいました。高校・大学と勉強、テニスばかりの生活。限られた人間関係、世界で生きている自分がいて、「このまま学校を卒業するのは嫌だな」と思っていました。そんな時にNICEを教えてもらって、世界がぐっと広がりましたね。
最初に参加したタイの国際ワークキャンプがとても心に残っているとお聞きしましたが。

そうですね。タイでの経験が人生のターニングポイントとなりました。先ほども話しましたが、それまでは限られた世界で生きてきたんですね。その世界がぐっと広がりました。色んな人がいるってわかったし、人の優しさ、温かさも感じることができました。それからは、ワークキャンプに参加し続ける人生になったんですよ。今はほとんど参加していませんが、ワークキャンプで出会った人とは今でもつながっています。
初海外で、英語も現地語も分からない状態で参加したタイは、特にインパクトが大きかったですね。日本で非常に恵まれた環境で生活している自分が、突然2週間、電気もほとんどない山(山岳民族が住む地域)での生活を体験することになりました。また、アジャという16歳の高校生と出会ったんですが、その子はずっと国籍がないまま生きてきたっていうんですよ。大変な状況にも関わらず、自分の考えをしっかり持って生きているんです。これはもう衝撃ですよね。人生の違いっていうのかな。それをひしひしと体感したのがタイでした。何もかもが「ハジメテ」なのが、とても大きかったですね。
それで、今でもタイの山岳民族の人とは細々ですが、つながっています。チェンライで寮(山岳民族の子どもたちは、山から学校へは通えないので、平地にある合宿所で共同生活をしている)を運営している、日本人のおじさんがいるんですよ。そのおじさんがやっている活動が「さくらプロジェクト」っていうんです。おじさん達がやっているプロジェクトは素晴らしいのに、HPが十数年更新されていない状態なんですよ。それで、この間の年末に訪れた時、その話をしたら、改訂しましょうという話になったんです。それで、今、色んな人を巻き込んでこのさくらプロジェクトのHP改訂を手伝わせてもらっています。
後付けになりますが、タイとご縁があるのは、自分の名前にも関係しているのかもしれません。たいすけの「泰」は、タイの「泰」。「佑」は、人を助けるって意味もある字なんです。細長く、ずっと関わっていきたい国だなと思っています。
様々なワークキャンプに参加した後についた「チカラ」について教えてください(成長ダイアグラム)。なぜオール5?
大変なことも、楽しかったこともすべて、何かしら今の自分に影響を与えているので5としました。大きな人生の転機になったことが一番大きいですね。
大変だったこととは?
大学を卒業して、次の仕事が始まるまで時間があったので、またワークキャンプでも行こうかなと思って、事務所に電話したんです。その時、かいさん(NICE代表、開澤真一郎)から「フィジーのリーダーがいないから、やってみない」と打診がありました。ワークキャンプが始まる2週間前だったでしょうか。初開催で、しかもぶっつけ本番でしたね。ワークキャンプが始まる1週間前にフィジー入りをして、学校の校長先生と打ち合わせ。。。そんな感じでバタバタと何もない状態からプロジェクトを立ち上げたので、それはとっても大変でした(笑)。ここでも鍛えられましたね。インド人とフィジー人のぶつかり合いや、参加者からの不満など、大変な状況でした。でも今振り返ると、あれはあれでよい経験だったなと思います。
ワークキャンプが一つのターニングポイントとなり、コモンビート等の活動を通じて最愛のパートナーを見つけた栗本さん。遠くない将来、田舎に住みながら仕事をしたいとのことですが、今後の夢や展望についてお聞かせください。

うーーん、模索中ですね。今は都会で仕事して、都会で生活していますけど、ワークキャンプで訪れた新得(共働学舎)みたいに、やっぱり、田舎で生活するのが基本というか、生活は田舎をベースに移したいと思っていますね。移したいというか、田舎をベースにした生活になっていくだろうなと感じています。
ずっと自分の中でひっかかっていることがあるんです。それは「お金」との付き合い方。しっかりお金を稼がないといけない、稼ぐために働くんだっていう世の流れがあるじゃないですか。お金に振り回されている、とらわれている生活というか。それでいいのかって。もっとお金にとらわれない生活、田舎に住みながら、地域の人とつながりながら、自分たちで作れるものは自分たちで生み出していく生活が必要なんじゃないかって。そういう生活にシフトする時期に来ているんじゃないかって思うんです。
すでに、いくつか住みたいなって地域は見つけています。でも動けない自分がいます。それはなぜかと考えていくと、やっぱりお金に縛られているんですよね。
お金に嫌悪感を抱いているのも、こう、何かしら影響を与えているのかもしれません。ちょっと込み入った話をすると、大学時代、家族関係がよくなかったんです。一人暮らしをしていたんですけど、親からはお金だけが送られてきました。お金ばかり送ってきやがってって気持ちになっていたこともあります。それに親父の働き方を見ても、お金のために働いて、仕事なんておもしろくないって言っていました。親父だけじゃなくて、社会全体を見ても、そうやってつまらないけれど、お金のため、言葉を変えると家族のためってことで、仕事をしている人がたくさんいませんか。そういうことを含めて、お金って、という嫌悪感があるのかもしれません。
でも、今の貨幣経済中心の世界では、お金ときっぱり離れた生活はできないですよね。嫌悪感を抱きつつも、お金と上手に付き合っていかないといけないと思っています。地域通貨や物々交換、いや、もっと違った方法での基準?があるのかもしれません。お金とどう向き合っていくのか、今後さらに考えていく必要があるテーマですね。そこを乗り越えた時に、自分が望む生活がある気がしています。
ちょっと話がそれましたかね。他の夢といえば、タイの山岳民族の子ども達とはこれからもつながっていきたいですし、妻は音楽をやっているんですけど、一緒に何かしらコラボできたらいいですね。今の僕は特に楽器はやってないんですけど、好きなんですよ。音楽とかダンスとか。
最後にメッセージをお願いします。

それぞれがこれだと思うものに取り組んでほしいと思います。それがNICEでもいいし、他のことでもいいです。出会いや縁もあると思うので、とにかく色んな人に出会って、色んな場所で、色んな経験をしてほしいと思います。
2012年5月15日(火)9時@スカイプ
栗本泰佑さんの履歴書(292.36 KB)
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