国内・海外ボランティア活動を行う
国際ボランティアNGO NICE(ナイス)は
1990年の設立。国内・海外約90か国で
ワークキャンプ等の各種事業を行います。
●ガザでの即時停戦を呼びかけます。
●ウクライナと世界の平和を強く求める、緊急声明とアクション
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体験談・フィリピン Quezon city

今回のワークキャンプでは、メインとなる「小学校での給食支援」の活動以外にも様々なボランティアに参加しました。
到着してすぐ台風になり、道路は浅い川のようになりました。私たちが泊まっていた施設周辺はそれほど被害はなかったのですが、少し離れた地域では家を失い、共同で施設に暮らす家族がいるとのことで、初めの1週間の活動は洪水被害への支援になりました。近くにあったフィリピン大学やアテネオ大学での支援物資のパッキングのお手伝いに参加し、大学生と交流することから始まり、自分たち自身で子どもたちに食事を作り、缶詰などと共に実際に現地に行って配給することもありました。こうした被害を受けた村は、首都マニラや私たちが泊まった地域よりも貧困が目に見えた村でした。
2週目に入ると台風もおさまり、実際に小学校で4000人分の給食を作るという活動に参加できました。日本人にとっては当たり前の給食ですが、この村はそうではありません。1200万円ものお金をかけて、様々な協賛のもと、お母さんたちのボランティアで毎日行われている活動で、主催する方は「この給食で、お腹をすかせる子ども達が集中して授業を受けられることで、将来お医者さんや大統領になってフィリピンを救ってくれる」と話していました。私のフィリピンへの印象は、そう遠く離れていない地域で貧富の格差があまりにも大きいというものです。首都のマニラには、キレイに整備された公園や巨大なショッピングモールがある一方で、車で1時間も走ればゴミ山の横で暮らす人々が大勢います。たった2週間でしたが様々なフィリピンの顔を見ることができ、休職支援の意義を感じられました。日本人として、日本の事や世界の事を改めて見つめ直す機会になり。本当に良い経験ができたと思ってます。
到着してすぐ台風になり、道路は浅い川のようになりました。私たちが泊まっていた施設周辺はそれほど被害はなかったのですが、少し離れた地域では家を失い、共同で施設に暮らす家族がいるとのことで、初めの1週間の活動は洪水被害への支援になりました。近くにあったフィリピン大学やアテネオ大学での支援物資のパッキングのお手伝いに参加し、大学生と交流することから始まり、自分たち自身で子どもたちに食事を作り、缶詰などと共に実際に現地に行って配給することもありました。こうした被害を受けた村は、首都マニラや私たちが泊まった地域よりも貧困が目に見えた村でした。
2週目に入ると台風もおさまり、実際に小学校で4000人分の給食を作るという活動に参加できました。日本人にとっては当たり前の給食ですが、この村はそうではありません。1200万円ものお金をかけて、様々な協賛のもと、お母さんたちのボランティアで毎日行われている活動で、主催する方は「この給食で、お腹をすかせる子ども達が集中して授業を受けられることで、将来お医者さんや大統領になってフィリピンを救ってくれる」と話していました。私のフィリピンへの印象は、そう遠く離れていない地域で貧富の格差があまりにも大きいというものです。首都のマニラには、キレイに整備された公園や巨大なショッピングモールがある一方で、車で1時間も走ればゴミ山の横で暮らす人々が大勢います。たった2週間でしたが様々なフィリピンの顔を見ることができ、休職支援の意義を感じられました。日本人として、日本の事や世界の事を改めて見つめ直す機会になり。本当に良い経験ができたと思ってます。


