国内・海外ボランティア活動を行う
国際ボランティアNGO NICE(ナイス)は
1990年の設立。国内・海外約90か国で
ワークキャンプ等の各種事業を行います。
●ガザでの即時停戦を呼びかけます。
●ウクライナと世界の平和を強く求める、緊急声明とアクション
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体験談・台湾 Taishi

価値観の相違とその克服 (上川路 大起さん)
私がこのワークキャンプを通して一番印象に残っているのは、日本人と台湾人の価値観の大きな隔たりだ。普通に接している時には、私はこの違いを感じることはなかった。ただ、キャンプ中の議論の際など、メンバーが真剣に物事を考える際に、私は2国間の価値観の違いを強く感じた。例えば、日本人は議論の際、誰かが1つの意見を言い、他の人も賛同の色を示している時、皆その意見に異を唱えない。つまり、その場の流れに同調する。しかし、台湾人はそうではない。ある意見が出て、周りが同調していても自分は違う意見を持っていたとすれば必ず自分の意見を言い、最初の意見に反対する。私は、日本人、台湾人の価値観それぞれ良し悪しがあると思う。前者の場合、議論がスムーズに進む。また、みんな同意した結論なので、仮に失敗しても誰か1人の責任にはならない。後者の場合、深い議論ができる。みんなそれぞれの意見を言うので、多様な視点から議論ができる。ここで大切なことは、お互いの価値観を尊重して議論を進めていくことだと思う。実際、キャンプ中、最初は日本人、台湾人それぞれが相手のやり方(価値観)になじめていなかったが、時間が経つにつれ、理解が深まり議論が順調に進んだ。色々な国の人が集まる国際ワークキャンプでは、さまざまな異なる価値観がある。大事なことは、相手の価値観を理解し、尊重することだと思う。


台西での私の経験 (鈴木 香穂里さん)
私は、このワークキャンプでの活動を通して、改めて日本文化とはいったい何なのかといった疑問に至り、命を頂くことのありがたさに気付くことができ、台西の人々が直面している問題について深く考えるようになった。私は、台湾西部の台西という田舎町にワークキャンプで訪れた。ワークキャンプの内容は、普段、異国文化に触れることのない子どもたちに日本文化を教えるというものだった。小学校で行った授業内容は、日本地理に関するクイズ、折り紙で手裏剣作り、日本の伝統的な遊びである福笑いを行うというものだった。その他にも、全校生徒の前でAKB48のダンスやよさこいを踊ったり、いきものがかりの歌を歌うというものだった。実際に子供たちは普段触れることのない異国文化に触れることができ、とても楽しそうであった。私は、この経験が子供たちにとって有意義なものであり、良い思い出になってくれればよいと思った。しかし、その一方で、自分自身の中にある疑問が浮かんだ。日本文化とは一体どのようなものかということだ。というのも、確かに私たちが台西の子どもたちに教えたものも、もちろん日本文化であると思う。しかし同時に、日本文化といっても、多岐にわたっていて、芸術、建築、流行、食べ物等を含めて様々であると思う。今回のワークキャンプで私が子供たちに教えた日本文化というのは、その中のごく一部である。これから、また他国の子どもたちに日本文化について教える機会がある時は、様々な日本文化のジャンルを問わず幅広く教えていきたいと思った。
次に、ワークキャンプ中のとある出来事と、それについての私の考えについて書きたいと思う。私たちが泊まった宿舎の目の前にある民家では鶏を飼っていた。ある朝起きた時に、昨日までたくさんいたはずの鶏がほとんどいなくなっていたことに私は驚いた。他のワークキャンプ参加者は市場に売られてしまったのではないかと言っていた。しかし、別の日に夜中に目が覚めトイレに行き外の手洗い場で手を洗っていた時に、気付いたら私の近くにたくさんの鶏が佇んでいるのに気付いた。なぜこんな夜中にと思ったが、よく見ると、多くの鶏が死んでいて、首が切り落とされているのに気付いた。また、同時に他の鶏
がちょうど首を絞められ、血を抜かれているところだった。私は見ていてとても気持ち悪くなってしまった。その後、全ての鶏を殺し終わった後の鶏の所有者のある種の達成感と、やるせなさの入り混じった表情で煙草を吸っている姿を忘れることができなかった。朝になって目が覚めて、同じ場所にいくと、猫が鶏の血の匂いがするからか、少し残っていた残骸を食べ漁っていた。また、その日の私たちの夕飯に鶏肉が使われていた。詳しくは聞かなかったが、私の食べている鳥も近くの市場で買ってきたもので、同じような経緯をたどってきたのだろうろうとその時思った。その時に私が思ったのは、鶏の所有者は自分たちの生活のために鶏を殺して売らなければならない。鶏はただ殺されるのを狭い檻の中でぎゅうぎゅう詰めになり待つだけ。また、その鶏の死骸を食べにくる猫は、自然界で自分たちが生き残るために必死である。そして、私はその出荷されてきた鶏を食べる。それが私の血となり肉となる。つまり、みな生きるためにそれぞれが必死である。最初は、正直なぜこんな場所に自分が泊まっているのかと、少し嫌に思った。けれど、この経験を通じて、食事をすること、命を頂くことに対して、より実感がわいた。私が、今までおざなりにしていた、「頂きます」という言葉は、これからは毎食欠かさずに、忘れてはならない言葉であると強く思った。
最後に、ワークキャンプ中に現地の人から現在の台西の状況について話して頂く機会があり、その際に台西も現在の日本と同じような状況に直面していることを知り、深く考えさせられた。今の台西は、大企業が台西に入ってきたために、環境破壊が進み、地元の若者の雇用がなくなっているために、都市へ若者が出て行ってしまうという状況であるらしい。また、私はワークキャンプで牡蠣の養殖の手伝いをし、その牡蠣や生態系にも影響がでてきているらしい。また、その企業は台湾GDPの数%を占めており、国にとっても欠かせない存在であるために、国が企業をどうにかすることはできない。また、この問題に対して、地元住民はどうにかしたいと考えているが、結局はどうにもできない状況である。私はこれらの話を聞き、台湾が現在まで日本がたどってきた道を歩いているような気がした。というのも、人々が生活の豊かさや便利さを求め、環境や生物、人々の暮らしを顧みず行った行動に対して、結果的にどこかで綻びが生じ、悪影響が出る。これは、日本の高度経済成長期の時と同じような過程をたどっているのではないかと思った。私は、台西が現在直面しているこの問題について、より活発な情報発信をしていく必要があると考える。例えば、市民が主体となり団体を立ち上げ、インターネット等の媒体を利用し、積極的に国内外に情報を発信していったり、このワークキャンプに参加した私のようなボランティアらが、同じようにこの台西が直面している問題を、自国に持ち帰り、社会に広めていくこと等が求められるのではないだろうかと思う。
台西でのワークキャンプは私の今までの人生経験をより豊かにしてくれるものであったと思う。私を受け入れてくれた仲間、台西で出会った人々、環境、全てが私にとって新しいもので、それらに出会えたことに対して私はとても感謝している。台西の人や街は、私に優しかった。しかし、その反面どこか寂しさも感じた。都市化の一方で、人々は大切なものを失いつつあるのではないかと感じた。台西の町は私が思っていた以上に、便利で、多くのものにあふれていた。しかし、その豊かさの反面、どこかで人々の生活に陰りを感じた部分もあった。台西の海と夕日はとても美しかった。しかし、台西の海岸沿いにいるやせ細ったたくさんの捨て犬たちが、近隣住民たちに餌をもらうことで依存しながらも、牙を見せ決して人間を信用しない姿や、ところどころ見せる憎しみの混じったような表情も忘れられない。台西の地平線に沈み行く夕日は息をのむほどとても美しく、素敵だった。だが、そんな美しい夕日の街である台西に住む人々は、今何を思って生きているのだろうか?私は、いつかまた台西の美しい夕日を観に、台西で出会った人と街に会いに、再び台西に訪れたいと思った。
次に、ワークキャンプ中のとある出来事と、それについての私の考えについて書きたいと思う。私たちが泊まった宿舎の目の前にある民家では鶏を飼っていた。ある朝起きた時に、昨日までたくさんいたはずの鶏がほとんどいなくなっていたことに私は驚いた。他のワークキャンプ参加者は市場に売られてしまったのではないかと言っていた。しかし、別の日に夜中に目が覚めトイレに行き外の手洗い場で手を洗っていた時に、気付いたら私の近くにたくさんの鶏が佇んでいるのに気付いた。なぜこんな夜中にと思ったが、よく見ると、多くの鶏が死んでいて、首が切り落とされているのに気付いた。また、同時に他の鶏
がちょうど首を絞められ、血を抜かれているところだった。私は見ていてとても気持ち悪くなってしまった。その後、全ての鶏を殺し終わった後の鶏の所有者のある種の達成感と、やるせなさの入り混じった表情で煙草を吸っている姿を忘れることができなかった。朝になって目が覚めて、同じ場所にいくと、猫が鶏の血の匂いがするからか、少し残っていた残骸を食べ漁っていた。また、その日の私たちの夕飯に鶏肉が使われていた。詳しくは聞かなかったが、私の食べている鳥も近くの市場で買ってきたもので、同じような経緯をたどってきたのだろうろうとその時思った。その時に私が思ったのは、鶏の所有者は自分たちの生活のために鶏を殺して売らなければならない。鶏はただ殺されるのを狭い檻の中でぎゅうぎゅう詰めになり待つだけ。また、その鶏の死骸を食べにくる猫は、自然界で自分たちが生き残るために必死である。そして、私はその出荷されてきた鶏を食べる。それが私の血となり肉となる。つまり、みな生きるためにそれぞれが必死である。最初は、正直なぜこんな場所に自分が泊まっているのかと、少し嫌に思った。けれど、この経験を通じて、食事をすること、命を頂くことに対して、より実感がわいた。私が、今までおざなりにしていた、「頂きます」という言葉は、これからは毎食欠かさずに、忘れてはならない言葉であると強く思った。
最後に、ワークキャンプ中に現地の人から現在の台西の状況について話して頂く機会があり、その際に台西も現在の日本と同じような状況に直面していることを知り、深く考えさせられた。今の台西は、大企業が台西に入ってきたために、環境破壊が進み、地元の若者の雇用がなくなっているために、都市へ若者が出て行ってしまうという状況であるらしい。また、私はワークキャンプで牡蠣の養殖の手伝いをし、その牡蠣や生態系にも影響がでてきているらしい。また、その企業は台湾GDPの数%を占めており、国にとっても欠かせない存在であるために、国が企業をどうにかすることはできない。また、この問題に対して、地元住民はどうにかしたいと考えているが、結局はどうにもできない状況である。私はこれらの話を聞き、台湾が現在まで日本がたどってきた道を歩いているような気がした。というのも、人々が生活の豊かさや便利さを求め、環境や生物、人々の暮らしを顧みず行った行動に対して、結果的にどこかで綻びが生じ、悪影響が出る。これは、日本の高度経済成長期の時と同じような過程をたどっているのではないかと思った。私は、台西が現在直面しているこの問題について、より活発な情報発信をしていく必要があると考える。例えば、市民が主体となり団体を立ち上げ、インターネット等の媒体を利用し、積極的に国内外に情報を発信していったり、このワークキャンプに参加した私のようなボランティアらが、同じようにこの台西が直面している問題を、自国に持ち帰り、社会に広めていくこと等が求められるのではないだろうかと思う。
台西でのワークキャンプは私の今までの人生経験をより豊かにしてくれるものであったと思う。私を受け入れてくれた仲間、台西で出会った人々、環境、全てが私にとって新しいもので、それらに出会えたことに対して私はとても感謝している。台西の人や街は、私に優しかった。しかし、その反面どこか寂しさも感じた。都市化の一方で、人々は大切なものを失いつつあるのではないかと感じた。台西の町は私が思っていた以上に、便利で、多くのものにあふれていた。しかし、その豊かさの反面、どこかで人々の生活に陰りを感じた部分もあった。台西の海と夕日はとても美しかった。しかし、台西の海岸沿いにいるやせ細ったたくさんの捨て犬たちが、近隣住民たちに餌をもらうことで依存しながらも、牙を見せ決して人間を信用しない姿や、ところどころ見せる憎しみの混じったような表情も忘れられない。台西の地平線に沈み行く夕日は息をのむほどとても美しく、素敵だった。だが、そんな美しい夕日の街である台西に住む人々は、今何を思って生きているのだろうか?私は、いつかまた台西の美しい夕日を観に、台西で出会った人と街に会いに、再び台西に訪れたいと思った。


