体験談・吉里吉里



吉里吉里人に会いたくて

 
 「被災地ボランティア」この言葉はボランティア文化の浸透が浅い日本人にはハードルが高い言葉ではないだろうか?私自身もNICEと出会う前まではその中の一人だった。しかし、説明会や前年度参加者の感想を聞いたり、現地の情報を調べるうちに私の中で被災地活動に対する不安はいつしか興味へと変わっていった。
そして私がこのワークキャンプに参加を決定した理由は、「被災地を自分の目で見て、吉里吉里地区に住む人たちに会ってみたい!!」ただそれだけだった。

 大震災の津波で大きな被害を受けたこの地区は山と海みに囲まれ、古くから独立精神が強い人たちが暮らす町。私が実際に現地を自分の目で見て、町を歩き、吉里吉里の方に接して感じたこと、それは「男のなかの男」と「やまとなでしこ」が今も多く暮らす町。
日常生活の場面では「とてもシャイな男達とパワフルな女性陣」だが、町の復興に力を尽くす男性陣とそれを支える女性陣。お互いを大切に、そして尊重しながら生きていた。

 とても仲良くなって、私の事を実の娘かのように可愛がってくれる吉里吉里のパパとママも出来た。この夫妻から話してもらった印象的な言葉が、「ハガキ1枚、電話1本でも私達のことを気にかけてくれるだけで私達は明日1日頑張れるから。ここまで来てくれて本当にありがとう」と。涙が止まらなかった・・・
そしてワークキャンプでお世話になっている吉里吉里国の方も、「ボランティアの姿を見るだけで自分達も頑張らないと!今度来てくれる時にはもっと復興した吉里吉里を見せてやりたい!って気持ちになるよ。」と話してくれた。

 彼らは「被災地・被災者」として世間から弱い立場の人間だと思われがちだが、それは非被災者の勝手な思い込みなのかもしれない。確かに震災直後はそうだったかもしれないが、2年目の今は違う。彼らはとてつもなく強よく、自分の事よりも他者を優先させる思いやりに溢れた人々だった。自分達も決して豊かではないにも関わらず、ボランティアの私達をいつも気にかけ、食べ物の差し入れや生活面でのサポートを沢山の方々がして下さった。

 現地で出会った人の9割近くの人は家も親族も津波で失い、今も仮設住宅での生活を余儀なくしている。それでも彼らは前を向いて、「犠牲になった者に恥じないように。」と日々闘いながら今日も生きている。

 
年齢・国籍・チームを越えた仲間

 東北で活動するボランティアチームや個人参加は沢山あり、NICEメンバーだけではない。
時に問題も生じるが、ここに集まる人間に共通していることは、町の復興・現地の人の為の活動を行う気持ち。そこでの出会いも東北活動ならではの醍醐味かもしれない。参加理由は人それぞれで、東北への気持ちの温度差も違う。しかし、出会って数日、数時間の人でも何だかその人を昔から知っているかのような気持ちになる。これは皆が同じ“東北の明るい未来”を目指して活動をしているからだと感じる。活動を終えて各自生活拠点に戻った今でも、頻繁に連絡を取り合ったり、別の場所で再会したり、そして東北で再び一緒に活動したりと、また会いたい!と思える仲間が出来た事は一生の宝物である。


「生きている」生活

 吉里吉里のワークは体力面・精神面ともにハードな場所である。
作業時間も長く、吉里吉里国の事務所横に建てられたコンテナハウスが生活拠点である。
簡単に言えば、家と仕事場が一緒の敷地にある所。なので、プライバシーな空間・時間は少ない。しかし、その分現地の人との距離がとても近く、現地住民とボランティアの垣根を越えて、We are family! として接してくれる。朝早くから一緒に仕事をし、夕方仕事が終わると晩酌を共にする。酔ってベロベロになると一緒になって寝ることもある。決して豊かでも生活環境が便利と言える場所ではない。車で15分のスーパーは20時、一番近いコンビニは21時で閉店してしまう。『朝起きて、仕事をし、みんなでご飯とお酒を飲み、大笑いをして、そして寝る』毎日そんなあたり前のように感じるシンプルな生活だが、あたり前の日常がある日突然あたり前じゃなくなった経験を持つこの町では、より一層あたり前の生活がありがたく感じられる。自然と共存し、他者とも共存した、生きている実感がする場所。